若人の考えていること。

思いのままに書いています。

オレ「青い」。

 

オレ「青い」。

 

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最近、自分をずっと遠くから見ている感覚に陥ることがある。

 

キレイに言えば、客観視できているのかもしれない。

 

とても不思議な感覚だ。

 

 

どこかで、他の24歳よりも、

大人びているという

「根拠のない自信」「つまらないプライド」がある。

 

そんな自分を客観視して虚しくなる。

 

まだまだ"青い"なと。

 

そんな葛藤を綴る。

 

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私は現在24歳。

 

世間からすれば"まだ24歳"

私もそう思う。"まだ24歳"

 

何にもできやしない。

お前の経験なんてたいしたことない。

人生これからだ。

 

客観視している自分と、世論の意見は同じだ。

 

しかし今を生きている自分は違う。

 

俺は、何でもできると思っている。

オレが1番だと思っている。

 

根拠はない。

 

おそらく「燃え尽きるまで燃えた経験」

若さ故の「責任」がないからだろう。

 

そんな青二才は、他人の言うことになど耳を傾ける余裕もなく「うるせーバカ」としか思わない。

 

他人に何かを与える余裕など、まるでない。

 

自転車のハンドルから手を離しては「危ない」と親や先生から注意をされても、

それでも手を離してみないと気が済まない。

転んでからじゃないとわからない。

 

それが青さ。

 

早く手を離して運転したいと思っている。

それが自覚している青さ。

 

一方で、早く転びたいと思っている。

それがちょっとだけ大人びた自分。

 

 

なぜか、「明日死ぬかもしれない」と

毎日のように思う。

どこか生き急いでいる。

死ぬのが怖い。

 

これもちょっとだけ大人びた自分。

 

でも、早く成り上がりたくて。

早く何者かになりたくて。

おそらくこれ、まだまだ青いのだろう。

 

 

"大人"になった自分はこれを読んで何を思うだろうか。と思い。書いてみた。

 

 

 

24歳の菅野雅之。

 

指導者2.0

 

指導者2.0

 

世間では“時代遅れ”と揶揄される高校野球であるが、僕は転換期に突入していると感じる。

 

というのも、数年前まで球数制限などという

言葉すらなく、延長引き分け再試合で力投する投手に誰もが拍手を送っていた。

 

しかし近年ではタイブレーク制が導入されたり、投手の球数制限が議論されたりと、長い目で見れば1つの転換期を迎えているように思える。

 

そんな中、指導者の形も転換期を迎えているのではないかと僕は思っている。

 

それが「指導者2.0」だ。

 

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インターネットが作った現代

 

前回のブログで、情報について書いた。

 

"情報"は売れない。 - 若人の考えていること。

 

この"情報"が転換の要因であり

トラブルの原因である。

 

高校野球に携わり、多くのチーム、指導者、選手を目にするが、

どうも"情報格差"が拡大しているように感じる。

 

今からめちゃめちゃ重要な事を言うが

 

ひと昔前までの、

情報飢餓時代は「情報をいかにして集めるか」が重要であった。

 

つまり

"指導者の方が情報を持っている時代"だった。

 

正解の方向性も曖昧だったため

"オレの言うことが正解だ"と言い切れる

良く言えば、リーダーシップのある。

悪く言えば、独裁的なワンマン指導者が

時代にマッチしていた。

 

 

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ところが

情報飽和時代に入り

「情報をいかにして厳選するか」

重要になってきていて

 

"選手の方が情報を持っている時代"になろうとしている。

 

そんな選手に

アップデートされていない

クオリティの低い情報で縛って

「オレの時代はこうだった。

オレはこうやって上手くなった。」と

指導してしまうとトラブルが発生する。

 

なぜなら

現在は、"正解の方向性"は見えはじめていて、

選手の方が情報を持っているからである。

 

例えるなら、

張本さんが監督をしている

チームの選手全員が、ダルビッシュ選手の

Twitterをフォローしていれば間違いなく

選手から監督に「喝!」がはいり、

ボイコットが起こるということだ。

 

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ただ、この事を理解していてか

(理解している訳がない)

未だに、スマートホンの使用を制限したり、

SNSを禁止にしている野球部は多い。

 

更に学校教育の弊害も相まってか

高校生の本人達も

SNSやインターネットは危険だと認識して

おり、消極的な生徒も多いのが現状である。

 

しかし、このタガが外れた途端に

全国各地の旧来指導者への反乱が起こることは

予想できる。

 

 

指導者はダルビッシュになれ。

 

そんな現代の課題は

"検索の難易度が上がる"という事だ。

 

Googleで、情報を集めようとしたとき

検索ワードは、なんと入力するだろうか。

 

「野球  投げ方」「野球 トレーニング」

だろうか。

 

これでは無数に出てくる情報の中で

どの情報が正しく、

信用できるのかは分からない。

 

以前も、ブログに書いたが

"信用できる情報とは、

信頼している人がピックしている情報"

である。

 

つまり指導者はダルビッシュ選手になった方が良いということである。

 

これはなにも、メジャーリーガーであれ。

ということではなくて

 

「信用と知識と経験をいかして、

                           情報を厳選し、発信する。」

 

という事である。

 

これが指導者2.0だ。

 

日本高校野球界に"コーチング"

という言葉が飛び交わないわけ。

 

日本スポーツのコーチングスキルは、

かなり低いという事は度々言われている。

しかし、それ以前に"情報弱者"がすぎる。

 

正解の方向性は、すでに見えはじめているのにもかかわらずどのチームもやっていることがバラバラだ。

 

片や、データやスポーツサイエンスを現場に落とし込むチームもあれば、

片や、選手に走り込みだ、投げ込み、振り込みだと未だにそんなことを言う指導者もいる。

 

右も左も全く違う事をしている。

 

それを

「正解なんてないから、色んな指導の仕方があっていいんじゃないか。」と言う。

 

どう考えてもおかしい。

そんな業界がどこにあるんだ。

時代錯誤も甚だしい。

 

こんなに正解の方向性が全く統一されていない業界も珍しいのではないだろうか。

 

スポーツサイエンスが現場に落とし込めている国や地域では"正解の方向性"は周知されているため、どのチームも練習の方向性は大きく変わらないだろう。

 

だからこそ"コーチング"に差が出るのだ。

 

まとめ

 

情報飢餓時代の

独裁ワンマン指導型から

 

情報飽和時代の

フォロワーシップ型へ。

 

時代は変わってきている。

選手と指導者の関係性も変わってきている。

 

"年齢" "地位" "経験"を武器に指図する

指導者ではなく、

 

大事なのは"信頼"である。

 

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➖「指導者2.0」➖

 

菅野雅之

 

 

 

 

"情報"は売れない。

私は都内の高校で野球部の顧問をしている。

 

数ヶ月前に、こんな事があった。

「野球の指導を生徒にさせて頂きたい!」と

学校に野球指導の営業の方が来た。

 

詳しく話を聞くと、月額一人5,000円で

オンラインでメルマガやメッセージでのやり取りを基本に指導をするという。

 

性格の悪い僕は聞いた。

 

「あなたじゃなきゃできない仕事ですか?

TwitterYouTubeなどの無料コンテンツと

何が違うのですか?

どんな情報を提供してくれるのですか?」と。

 

(文字に起こすとより性格が悪く見えるな。笑)

 

ところが、「内容は有料ですので、お見せする事はできません。」の一点張りだった。

 

僕は言った。

「どんな内容かも分からないモノを、生徒に勧める事は出来ません。」と。

(どう?カッコいいでしょ?笑)

 

そりゃあそうだ。

「このサプリメントは効きますよ!

中身の成分は教えられませんが。」

と営業しているサプリメント

誰が「買います!」と言うだろか。

 

サプリメント業者なら

"成分を公表したら商品の希少価値が消える"

というような商品を、販売する事自体そもそも価値がない。

 

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他の競合他社との差別化を図るのは

 

○飲みやすく作れる製法

○独自の効果がでる配合

商品ブランド

○手に取りやすい価格。。。

 

などである。

 

つまり、【情報】を武器にしていては

マネタイズが出来ないのである。

 

【情報】はコピペできるから。

 

インターネットの普及により我々人類は

光と音を一瞬で拡散する力を手に入れた。

 

そんな情報過多社会の現代において

【情報】の希少価値は格段に低下した。

 

歴代総理大臣を丸暗記している

記憶自慢のおっさんは、

Googleに簡単に負けてしまう世の中だ。

 

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お前も情報発信しとるやないか。

 

とは言え

人の事をヤイヤイ言ってると

ブーメランで返ってくるものだ。

 

そう。私のブログもその中の一つで、

もしかしたら価値が無いのかもしれない。

(あるぞ。多分ある。いや、絶対ある。。。)

 

なぜならスマホにはライバルが多い。

 

大好きなあの人からのLINE、〜興業のYahoo!ニュース、有名モデルのセクシーなInstagram、炎上商法で話題のYouTuberのyoutube、毎日匿名で石を投げ合うTwitter。デジタルとアナログを行き来するポケモンゲーム。

 

スマホの中だけでもこんなにライバルがいる。

 

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その中で皆さんの時間を、少しでもいただくのは至難の技なわけだ。


そんな状況にも関わらず、

【情報】を売り続けても【情報】のクオリティで勝てるはずがない。

 

例えば私が、

レーニングに関しての情報を発信しても

レーニングに関する情報のクオリティは

間違いなくマッチョ系YouTuberや研究者の方が

はるかに高く、それを分かりやすくまとめて

くれているコンテンツは山のようにある。

 

僕が【情報】を提供することに希少価値は無いのだ。

 

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ではどうするか。

 

方程式がある。

 

それは

【情報】×【 X 】が希少価値を高めるのだ。

 

【 X 】とは

経験、体験、人柄、サービス、フィロソフィー、夢   などだ。

 

すると

【情報】×【 X 】=【物語】

となる。

 

つまり、その人でなければ価値がなく、

その人だからこそ価値を持つものになる。

 

菅野雅之でなければならなく、

菅野雅之だからこそ価値があるものになる。

 

それが【物語】である。

 

って西野さんがいってました。笑笑

 

 

誰が言っても変わらないような事は言いたくないので、菅野雅之にしか作れないものを作っていけたらなと思います。

 

そして、方程式なので

もちろん【情報】も大事だと

僕は思っています。なので発信しています。

 

 

 

以上、菅野雅之でした。

クレヨンしんちゃん適齢期

今回は【性】の話をする。

 

数年前まで、

「子どもに見せたくない番組ランキング」

といったものがあったのはご存知だろうか。

 

そこで毎回必ず上位にランクインしていたのが

日本国民なら誰もが知っている

クレヨンしんちゃんだ。

 

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説明する必要も無いだろうが、

見せたくない理由は「下ネタ」である。

 

「子どもがマネをする」「下品で卑猥だ」

「教育に良くない」

 

その様な意見が大半だ。

 

果たして本当に"良くない"のだろうか?

悪影響を与えるのだろうか?

今回はそれについて考えてみたい。

 

クレヨンしんちゃん適齢期

 

ここから私の持論を展開するが

クレヨンしんちゃん」適齢期は

「幼稚園〜小学校低学年」くらい

であると考えている。

 

おそらく世間的には一番見せることを懸念して

いる時期であろう。

 

その理由を以下に述べる。

 

それは「下ネタの何が面白いのか」

というところにある。

 

下ネタは、下ネタ自体が面白いのではなく

それをツッコムから面白いのである。

 

つまり、

しんちゃんが、「ぞーさん、ぞーさん」

としているだけなら児童ポルノアニメになってしまう。

 

これをネタにしているのは

「なにしてんのー!!」という

ミサエやカザマ君がいるからである。

 

これは、ドラえもんのしずかちゃんの入浴シーンにも同じことが言える。

 

しずかちゃん単体では、アダルトコンテンツになってしまうが、のび太君がきちんとリアクションするからネタになる。

 

つまり、「いけないこと」「恥ずかしいこと」

「カッコ悪いこと」が前提にある。

 

だからネタとして成り立つのだ。

 

それをきちんとツッコミ役が

教えてくれている。

 

むしろ、私が一番「クレヨンしんちゃん」に

細心の注意を払わなければならないのは

「小学校高学年〜中学生」の時期であると考える。

 

欲求の開示が"人間"にする

 

以前、ブログで"師"の話をした。

師と人間を分けるもの。

それは「欲求の開示」であると

考える。

 

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食欲、睡眠欲、性欲などである。

 

例えば、ONE PIECEのコミックを開けば

各章毎にイラストが描かれている。

 

そのイラストは、かなりの確率で

「食べる」か「寝る」イラストが多い。

 

映画「天気の子」でも主人公の

「ご飯を食べるシーン」

「眠りから覚めるシーン」

「女性の胸を見るシーン」

などがきっちり描かれている。

 

なぜかというと、

2時間という決まった時間の

クライマックスに涙を流してもらうには、

主人公をその短時間で好きになってもらう

必要がある。

 

「役」から「帆高という1人の少年」に

ならなければ感情移入してもらえない。

 

そこで最も手っ取り早いのが

「欲求の開示」である。

 

つまり、"師"や"役"や"立場"から

ひとりの"人間"になるには

「欲求の開示」が必要不可欠なのである。

 

私が先程クレヨンしんちゃんを最も細心の注意を払わなければならないのは

小学校高学年〜中学生だといった。

 

その理由がそこである。

 

いくつになっても

クレヨンしんちゃんはダメ」

「卑猥なモノ」としていると

 

親離れ、子離れができなくなってしまう。

 

というか、中学生になっても

クレヨンしんちゃんは見ちゃダメ」と

言っている時点で子離れができていない。

 

いくつになっても「性欲」の存在を

見て見ぬ振りをしていると

「親」と「子供」という関係や立場、役から

抜け出せない。

そうなると様々な支障がでてくる。

 

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"師"であることのメリット

 

親と子(師、役、立場、関係性)

であることによるメリットは

"説明がいらないこと"である。

 

つまり親という世間が作りだす

イデオロギーによる"虚像"に身を委ねれば

良いのである。

 

親は無償の愛と、時間とお金を注ぎ、

子供が自立するまで育てる。

 

子はそれらを受け、甘え、失敗し、

成長していく。

 

これらにいちいち説明がいるようであるなら

相当な苦労があり、1つとして同じ子育ての形は生まれなかっただろう。

 

しかし、それはそれで面白いかもしれないが様々な弊害もあり、コスパも良くない。

 

そんな小さい子供が大きく成長していくにつれて親子の関係から脱皮していかなければならない。

 

より深く、認め合い、許し合う関係

になるには"親"と"子"という"関係"から

一人の人間として関わりあった方が

私は良いと思う。

 

そういう意味でも"性教育"は

重要である。

 

いつまでも、

「あなたは山の奥から拾ってきたのよ。」とか「川から流れてきた」という冗談や

「愛し合えば勝手に赤ちゃんを授かる」という事を信じこませていると

親離れができなくなってしまう。

 

そんな事も性教育の1つの役割である。

だからこそ教える立場にある者も

しっかりと伝えるべきである。

 

 

菅野雅之

 

 

可愛い子にはトレーニングをさせよ。

 

ウエイトトレーニングをすると

様々な内分泌物質が出て、筋肉だけでなく

脳にも良い影響を与えるようだ。

 

記憶力が向上したり、脳の働きが活性化されるなど、生理学的に頭が良くなるらしい。

 

「筋トレは脳を賢くする可能性がある」 石井直方・東大教授の筋トレ談義 | 朝日新聞デジタル&M(アンド・エム)

 

それに加えて、私は物理的にも

頭が良くなるのではないか?と思ったので

それを紹介する。

 

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「努力すれば報われる最高峰」

 

ウエイトトレーニングは、

科学と密接な関係にあり、

この2つは切り離せない。

 

よく、「筋肉バカ」と言われるが

バカでは筋肉はつけられない。

 

「毎日一生懸命バーベルを持ち上げれば

モリモリと筋肉がつく。」という

簡単なモノでは無いのだ。

 

筋肉を大きくするのに

適した量があり、

適した頻度があり、

適した強度があり、

適した栄養摂取がある。

 

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こういった"正しい努力"をすれば

必ず報われる。

 

私はこの

「学び」「実践」「結果」のサイクルを勝手に

「ラーニングサイクル」と名付けている。

 

これがウエイトトレーニングはマジで早い。

 

そしてこの大縄跳び的な

「ラーニングサイクル」に

入りやすい。

 

超簡単ダブルダッチなのだ。

いや、もうトリプルダッチかもしれない。

(なにを言ってるかは自分でも分かりません)

 

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大半はこのラーニングサイクルに

まず、「入るのに失敗する」。

 

というか入ろうとすらしない。

 

だって面倒くさいもの。

 

そして入ったとしてもサイクルが

「ゆっくり」で結果が出るまでが長いから

途中で挫折する。

 

さらには、跳ぼうと努力してもそれが報われるとは限らない。

 

だから跳ぼうと思わないし、

跳べないし、跳んでいて楽しくない。

 

ところがウエイトトレーニングは

正しい努力をすれば必ず報われる。

「努力が報われる最高峰」

である。

 

これがウエイトトレーニングにより

「頭が良くなる」もう一つの理由である。

 

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「学び」の種類

 

学びの種類には2つあると考えていて、

それは「七並べ型」「オセロ型」である。

 

以前、産業医の大室さんが大室正志/産業医 (@masashiomuro) | Twitter

学びには「七並べ型」と「ジョブズ型」と言っていたが「オセロ型」の方がしっくりきたのでオレごときが言い換えている。

 

「❶七並べ型」

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1つのことから派生して、

それらに類似していたり、同一性の高いモノを

七並べ的に広げていくタイプだ。

まさに、ウエイトトレーニングがここに当てはまる。

 

ウエイトトレーニングから→運動学→生理学→栄養学→障害予防というように

学びをどんどん展開していける。

 

以前、ダルビッシュ選手

ダルビッシュ有(Yu Darvish) (@faridyu) | Twitter

の密着取材で「病理学」の本を読んでいる事が取り上げられていたが、

恐らくダルビッシュ選手はいきなり病理学に飛び付いた訳ではなく、ウエイトトレーニングから七並べをしていった結果、病理学に辿り着いたのだと思う。

 

❷オセロ型

 

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先程の例でいくと、いきなり病理学に飛びついていくのが「オセロ型」である。

 

例えば、IT企業で働く人がいたとする。

その人のオセロの角の1つは「IT」である。

 

その人がある日、健康診断でひっかかってしまった。そこで「病理学」に興味を持つ。

 

「IT」と「病理学」一見なんの共通点もない

2つが、オセロの角と角になり

それが繋がり新しい事業を生み出す。

 

「最新のテクノロジーを使って、病理検査の時間を短縮させよう!」

 

みたいな。例えばね。

 

まぁこのように、なんの共通点もない

モノとモノが無意図的に繋がり

それがオセロの角になり、

ある日突然、ダァーッとひっくり返り

繋がって新しいモノを生む。

 

これが「オセロ型」である。

 

まとめ

「学び」を2つの種類に分けた。

 

個人的には、まず「オセロ型」でイケるのなら

オセロ型でいった方が良いと思う。

 

なぜならラーニングサイクルに自然と入れて

学びの成功体験を味わえるのなんて

それ自体が才能だから。

 

私は、もともと勉強はあまり好きではなくて

なかなかラーニングサイクルに入れなかった。

 

でも、ウエイトトレーニングをきっかけに

学びの七並べが始まり、広がった。

 

スっとラーニングサイクルに入れたのだ。

 

ウエイトトレーニングは

「努力をすれば報われる最高峰」である。

 

ゆえに「禁断の果実」だ。中毒性がある。

 

でも「学びの楽しさ」を味わうのには

もってこいだ。

 

ダルビッシュ選手や大谷選手、菊池雄星選手の

あの「頭の良さ」はウエイトトレーニングから始まったと信じてやまない

「筋肉バカ」のブログでした。

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

 

菅野雅之

 

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指導者の役割

「基本的な生活習慣がなっていないから上手くならないんだ。」

 

私も野球人生で、何度か耳にした言葉だ。

 

しかし、私はこの言葉を疑ってやまなかった。

 

なぜなら、私より野球が上手くて、レギュラーとして試合に出ているヤツらの生活習慣や態度は、私よりはるかに悪いヤツもいたからだ。

 

高校も大学も野球部の寮に住んでいたから分かるが、いい加減なヤツは、とことんいい加減だ。

 

私は

睡眠時間は確保しないと身体に支障が出るし、

部屋はある程度は綺麗に保っていたし、

挨拶だって心掛けたし、

寮の規則は基本的に守った。

 

でも、野球ではレギュラーになれなかった。

 

屁理屈かもしれないが

この辺を、指導者として理解しておく必要があると思い、考えてみた。

 

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「基本的な生活習慣がなっていないから上手くならないんだ。」は本当か。

 

この件に関して、

私が尋ねた指導者がいる。

 

それは高校女子バスケット界の名将

桜花学園の井上眞一監督だ。

 

全国大会最多64度の優勝を誇る超強豪だ。

 

私は大学3年に野球を離れた後、

全国の強豪部活動の練習を見て回った。

 

NHKの「プロフェッショナルの流儀」を

見て以降、絶対に一度お会いして話を聞きたいと思っていた人物だ。

 

その機会をもらい、井上監督とのお話しさせていただいている中で、こんな事を言っていた。

 

「"基本的な生活習慣ができていないから上手くならない。"って言ってる指導者は技術指導ができないだけだ。」と。

 

とても驚いたが、心底納得した。

 

誤解を招く可能性があるので言っておくが、

 

桜花学園の選手達は、

挨拶はしっかりするし、

礼儀正しいし、

気遣いもできるし、

玄関の靴も揃えられている。

 

おそらく他の学校の選手達よりも

礼儀やマナーなどの、基本的な生活習慣・態度はしっかりしている。

 

井上監督は、指導者としてそれを伝える事は

大切であるが、プレーはプレーだし、

生活態度は生活態度。

 

競技のプレーと、それらを一緒にしてはいけない。という意味で言ったのだと私は解釈した。

 

指導者の役割

 

指導者の役割は

①パフォーマンス(職務遂行機能)

②メンテナンス(集団維持機能)である。

吉井理人さんの著書「最高のコーチは教えない」に書いてあった。

 

つまり、

「どれだけ野球を上達させられるか」

(技術指導)と

 

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「どれだけ組織を良い形で活動させられるか」

(組織マネジメント)

 

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という2つである。

 

そして、この2つに加えて

"部活動"を指導する教育者として

もう一つの役割がある。と巷ではよく言われている。

 

それが

③ベーシック(基礎社会生活消化機能)

「社会生活を送る上で身につけておいた方がいい事を教えること」

である。

 

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挨拶、礼儀、気づかい、マナーなどだ。

 

なぜ、これらが必要なのだろうか?

 

「これができないと社会で通用しないから」

とよく聞くが、私はいまいち腑に落ちない。

 

あなたのいう社会って何?

本当に通用しないの?

 

そこを深掘りしていく。

 

本当に

「礼儀、挨拶、返事、掃除」

は必要だったのか?

 

「礼儀、挨拶、返事、掃除」

とは東北高校野球部の指導方針の1つである。

 

まさに先程あげた③ベーシックの部分である。

 

ここで重要になってくるのが、

「褒める時は

         人柄を褒める。

  叱る時は

            行動を叱る。」

 

という心理学の動機付けで重要なことである。

 

つまり、

③ベーシックを叱ると、行動を叱れない。

直に、ダイレクトに、まともに、

人柄を叱らなければならない。

 

だから、礼儀やマナーの事で叱られたくないし、叱りたくないのだ。

 

よく、

「スーツ着ていった方が良いかなぁ。

いや、でもなぁ。スーツの方が無難だろう。」

 

とか。

 

「お世話になった上司の方に、お子さんが産まれたんだけど、お祝いの封筒はこれで良いのかしら、金額はいくら包めばいいのかしら。」

 

という事を考えたり、相談を受けたりするのは

こういった事も影響しているのだろう。

 

服装は人柄がでるし、

マナーを知らなければ失礼にあたる。

 

服装やヘアスタイルを褒められて嬉しいのは

人柄を褒められるからである。

 

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叱る方も、正直叱りたくないし、

もし、叱られたならば

叱られるた方の、自己肯定感が急降下する。

 

だからこそ学生のうちに、この辺は身につけておきたいし、もっと言うなら1年生などの早い段階でこの辺の指導は終えたい。

 

社会人になってすぐに研修でこの辺を徹底的にやらされるのも同じ理屈だろう。

 

この辺りで身につけられないと

自己肯定感が安定しない日々を過ごすか

言われないまま過ごすかになるのだろう。

 

別に社会で通用するかどうかは分からないが、

身につけておいた方が、無駄に傷つかない。

 

 

そしてそれは私にも同じ事が言えていて、

私もまだ社会人2年目だ。

恐らくあと1.2年だろう

この辺を指摘してもらえるのは。

「叱られビリティーがあるのは。

 

まとめ

 

世の中の指導者はこの、

②メンテナンスと③ベーシックを

ごちゃ混ぜで考えている人が多いように思う。

 

②メンテナンスが欠ければ、

①パフォーマンスは伸びないが、

 

①パフォーマンスと

③ベーシックは別のものである。

 

しかし、③ベーシックは

指導者として伝えなければならないと

私は考えている。

 

というのが私の結論である。

 

 

菅野雅之

 

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SNSはリスクか。

SNSを実名で行う事にメリットはあるのか?

菅野雅之(助監督)@高校野球 (@masa66pe) | Twitter

 

教員がSNSを行う事に関しては

賛否がある。というより、「否」が圧倒的に多い。

 

その理由は明確である。

 

「別にやらなくても良い。もしくは、やる必要がない。」からだ。

 

何事もそうだが、「行動する」事に関して

多かれ少なかれ、リスクは付いて回る。

 

教員がSNSを使って、何かを発信することにも当然リスクはある。

 

当たり前のことだが、

そのリスクとメリットを天秤にかけたときに

メリットが多い。と判断する。もしくは、

メリットが少なくても、

やりたい!の熱量が強ければ行動を起こす。

となる訳だ。

 

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お前は何がしたいのか?

 

前回のブログにも書いたように

私は高校部活動をより良くしたい。

デカい旗を掲げる - 若人の考えていること。

 

指導者による体罰、必要以上の上下関係、選手の酷使による障害、スポーツ医科学を無視した根拠の無い長時間練習など。

 

元号「令和」を迎えてたにも関わらず、

「昭和を冷凍保存」したかのような、

未だに根強く残る部活動の悪しき習慣。

私はこれらを「近代部活動」と呼ぶ。

 

こういった近代部活動、近代野球から卒業し、スポーツや野球をより良いものへとしていきたい。これが私の目指すものである。

 

これらを実現するために、SNSが活躍できるのではないか。と考えたのでこれをシェアする。

 

菅野雅之(助監督)@高校野球 (@masa66pe) | Twitter

 

その理由を以下にまとめる。

 

❶"師"は選べるのか?

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今回"師"を2つの種類に分けて考えてみる。

「選んだ師」「立場的な師」だ。

 

これらをONE PEASのキャラクターに置き換えると、シャンクスとセンゴクである。

 

シャンクスはルフィーがその人柄に憧れ、

"選んだ師"である。

 

一方、センゴクは海軍の元帥であり、海軍達はセンゴクを組織の師。

つまり海軍に属するにはセンゴクを師としなければならない"立場的な師"である。

 

では、教師という職業はどうだろうか?

 

そう。センゴク的な"立場としての師"なわけである。

 

現状、高校選択をする中学生とその親は、

誰から学ぶか。という判断基準では選ばない。

 

つまり、

〜先生がいるから〜高校に入ろう。」とは

現代の公立学校ではならないのだ。

 

判断基準になるのは"どこで学ぶか?"である。

師は選べない。というより選んでいない。

 

しかし、現段階で限りなく"誰から学ぶか"

判断基準に選ばれるものがある。

 

そう。それは私立の部活動である。

(その学校自体に憧れる場合も多いが。)


つまり"選ばれた師"。シャンクスだ。

 

文頭で述べた近代部活動において

"昭和の冷凍保存"が今もなお残る理由の

一つがここにある。

 

選ばれた師は、自らがルールになる。

要は、「私のやり方を理解した上で、あなたが好きで選んだんでしょ?」というスタンスがまかり通るのだ。

 

それがサイエンスを無視した練習でも、

体罰であってもだ。

 

誤解を招くかもしれないが、

そういった"師"を選んだ側にも責任はある。

 

しかし、現状ではあまりに師を選ぶ情報量が

少なすぎやしないだろうか。

 

"選ばれる良い師"になるためには、

自らがどのような指導のコンセプトを持っているかを発信しておく必要があると私は考える。

 

 

❷発信できない指導者は、

       オーケストラのいない

                        指揮者と化す説。

 

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現在、野球人口は減少している。

また、働き方改革や部活動改革により、

少しずつ学校と部活動は切り離されていくことが予想される。

 

高校野球の場合、甲子園というアマチュアスポーツ最大の大会が存在する事から他の競技に比べクラブ化が進むのは遅れるだろうが、現状は公立高校の野球部の数は減少傾向。今後ますます野球人口は減っていくだろう。

 

そうなった場合には、指導者の需要数も減っていくことは言うまでも無い。

 

私が今、高校野球の指導をさせてもらっているのは、運や縁などが様々に影響し、

偶然的で、奇跡的で、運命的な状況である。

 

この強運を武器にするのも悪くは無いが

なんせ自分ではコントロールできない。

 

野球の指導がしたい人は多いはずで、

指導ができる人も少なくはない。

しかし、その人達が携われていないのも

現実である。

 

自分の夢や、人生のビジョンを運任せにはしたくない。その手段の1つとしてSNSを使っているのだ。

だから発信しなければならないのだ。

 

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❸"承認欲求型SNS"から

                   "自己実現SNS"へ

 

SNSの使用用途は2つに分けられると考える。

それは"承認欲求型SNS"と"自己実現SNS"である。それらを説明する。

 

●承認欲求型SNS

 

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現在、若者の多くが使用しているSNS

多くのフォロワーを獲得し、

多くのいいねが欲しい。

 

その為に

美味しい料理を載せたり、

海外の美しい景色を載せたり、

恋人やペットとの写真を載せたり。

 

多くの現代人が工夫を凝らしSNSを華やかにしている。

 

一方で、不特定多数人への拡散を防止する為にカギをつけて運営している人もいる。

 

身内の親しい人のみをフォローしている

俗に言う「鍵アカ」である。

 

様々な使い方をされるSNSであるが

これらの共通点は「承認欲求」を満たす。

と言う点である。

 

これが承認欲求型SNSである。

 

「承認欲求型SNS×教員=やる必要ない」

これが一般的な考え方である。

そりゃあそうなる。

 

自己実現SNS

 

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一方でこんな使い方もある。

OWNDAYSというメガネチェーン店ではメガネ通販のオンデーズオンラインストア|メガネ(眼鏡・めがね)、サングラス

社員の個人SNSを積極的に行うように促している。さらに、ある基準を満たした社員にはSNS手当まで支給している。

 

これは広告効果を狙って。という意図もあるようだが、それ以外にも理由があるようだ。

 

情報が溢れている現代社会で、

なにを元に「信用できる情報か?」を

判断するのに手っ取り早いのは

「身近にいる信用できる人がピックしてる情報を信用する。」ということ。

 

そうなると、情報過多社会では信用を集められる人に価値が生まれる。

 

だから"オンデーズの田中さんからメガネを買おう。"ではなく、"田中さんがいるからオンデーズで眼鏡を買おう。"になる。

 

というようなことをオンデーズ社長の

田中修治さんは言っていた。

田中 修治 OWNDAYS 社長 (@shuji7771) | Twitter

 

まさに先ほど❶であげた

学校選択の話とつながる。

 

「〜高校の菅野さんから教わろう。では無く、菅野さんがいるから〜高校に入ろう。」

 

とならなければ、今後「個の時代」になると

言われている世の中では埋もれていくだろうと考えている。

 

発信者となり、自分の価値を高める。

「ブランド人に、僕はなる。」

 

自己実現SNS×教員=やらない手はない」

 

というのが私の見解である。

 

最後に

 

という事で、最後まで読んでいただいた方。

ありがとうございます。

もうお気づきでしょうが、3回も私のTwitterをフォローするチャンスがありました。

 

日本では「仏の顔をも三度まで」

ということわざもありますが、

私は、もう壊滅的に優しいので最後にもう一度だけURLを貼っておきます。笑

 

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菅野雅之