若人の考えていること。

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"愛"と"恋"と"性"【前編】

【愛と恋と性】


今回は、いつの時代もお前たちの頭を悩ませている"恋愛"について、モテスギ君こと、

菅野恋愛研究所代表である

菅野がお前たちに"恋愛とは何か"について教えてやる。

 


しかしだ。注意が必要だ。というのも、この文章を読んでしまったからには、もう"西野カナ"には戻れない。

 


友達がキラキラして話している恋話に素直に「わかるー」とは言えなくなるからな。

 

しかし、それと引き換えに恋愛に対する無駄な悩みは消えるだろう。

 


その覚悟がある者のみ先に進んでくれ。

 

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さあ。ここから序論に入っていく。

 


どの時代も友達に相談した内容ランキング

第一位に君臨し続けている"恋愛"。

(※菅野恋愛研究所調べ)

 


俗に言う"恋バナ"にお前たちは一喜一憂し、いつも頭を悩ませている。

 

おそらくこの恋愛に関しては、

太宰治いや、織田信長いや、卑弥呼くらいの

時代の人も同じように"恋愛感情"という、

ドキドキして胸が締め付けられるような

"あの感じ"を味わっていただろう。

(あ、これ大事だよ。テストに出ます。)


そして、もっと言うなら

人間のみならず生物全般に共通する部分も多いのは確かだ。

 

それでは"愛"と"恋"と"性"を考えよう。

 

 

[第一章]恋愛と結婚とセックスを考える

 


現代は、

 


好きな人と恋愛して

好きな人と結婚して

好きな人とセックスをする

 


という3位一体を「善」としている雰囲気を感じずにはいられない。

 

芸能人が不倫をすれば袋叩きにし、

長年付き合っている彼氏彼女がいても、

結婚に踏み込もうとして破局したり。


しかし、

そもそもこの3つが全て揃っていなければならないという時代はそう長く無く、

むしろごく最近の話である。

 


少し前まではお見合い結婚が一般的であったし、日本には混浴という文化もあった。お祭りの日は無礼講で不特定多数の人と性交をかわした歴史もある。

 


つまり、恋愛と結婚とセックスは互いに分離していたのだ。

 


では、そもそも結婚という制度ができたのはいつか?というと、これは人間という生物が"定住"し始めた頃だと言われている。

 


狩猟採集民族から農耕民族へ移り変わる事で、人間は定住することができるようになった。

 


そしてそこでは財産を貯蓄するということができるようになった。

 


そこで生じた問題が1つある。

それは"相続"をどうするかということである。

 


せっかく集めた"財"を

自らの命と共に失ってしまう事は

本望ではなく、後世に、そして"誰か"に

残したい"と思ったのであろう。

 


しかしそこで1つ問題が発生する。

そう。"誰に"をどう判断するかである。

 


私があの人から最も愛されていたわ。

いいえ。私はあの人の子供よ。

いいえ。私はあの人と約束をしていたわ。

 


というように。

 


つまりそこには社会的に認められた

"制度"が必要であったのだ。

 


そこで生まれたのが"結婚"という制度である。

社会的に認められた相手、

もしくはその子供に財産を相続するための制度。それが結婚であった。

 


では、子供はどうしていたか?

 

今のように医療技術が発達していなかった当時は出産とは女性にとって大きなリスクであった。(今もその事に変わりはないけど)

 

そしてそれは人間のみならず生物全般に共通する事である。

 

無事、出産することができたとしても"大人"まで育てる事は医療技術の観点やその他の要因からも困難を極めた事は、容易に想像ができる。

 

その事から村や集落で子どもを育てたと言われている。(その村の人口が減るという事は、その村の死活問題だからね)

 

パートナーが親として関わるのは子供が生まれてから2〜3年といわれている。

 

その後、女性と男性の関係は解ける。

一定期間のみだったという事である。

 


その期間を終えると別のパートナーとの関係をもち、女性は生涯で計5〜6回の出産をしたという。

 


驚くかもしれないが、遺伝子に変化をもたせ、人類の継承という観点からすれば必然だったのかもしれない。

 


※様々な諸説があります。

 


恋愛においても、現代の意味する恋愛とは違い、基本的には結婚後に関係をもつ事を恋愛と呼んだ。つまり、現代の言葉でいう"不倫"に位置づけられたモノである。

 

理由は前述の通りである。

そもそも結婚は制度であり、セックスも恋愛とは分離されていた。逆に、ある意味でセックスと恋愛は"同じモノ"と捉えられていたのかもしれない。

 

つまり、恋愛と結婚とセックスは分離されていたってこと。

現代のような結婚を頂点とした三位一体構造が生まれのは超最近だってこと。

 

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[第二章]"恋"を考える

 

つまりだ。上記のことからもやっぱり
「男は"SEXをしたいという欲求"と"この人が好きという感情"を勘違いする生き物だ」という事は言える。

 

なぜなら恋愛とセックスは分離されていて、

ある意味では同一のモノであったからだ。

 

しかし、そんな事を言うと

「オレはそんな事はない!」と言い張る

清純派若手俳優みたいなツラをした

ヤツが一定数出てくる。

 

そうだ。お前の事だ。

 

それではお前に聞こう。

(ここからは性別は問わないぞ。男も女もゲイもバイもレズもだ)

 

 

今、好きな人の事を想像しろ。

 

 

 

 

 

(おい。鼻の下伸びてるぞ。笑)

 

問うぞ。

「なぜ、その人の事が好きなんだ?」

 

 

 

 

 

(顔が赤くなってるぞ。是非ともZOOMでこのやり取りをしたいものだ。ハッハッハッ。)※まだZOOM使った事ないんだけどね。

 

 

 

 

答えが出たか?

 

オレは悪いが、お前たちが答える内容など容易に想像がつく。

 

どうせ。

「一緒にいて楽なんだよねー。」とか

「なんかノリが合うっていうか。」とか

いう薄っぺらい理由だろ?

 

 

そうなんだよ。そこなんだよ。

 

安心しろ。誰も、

なぜその人の事が好きなのか?

なぜ恋に落ちたのか?

なんてのは答えられないんだ。

 

そう。いつも僕らは適当なそれっぽい事を言って誤魔化すんだ。

 

(私はクシャッて笑うあの人が好き。とか。あの人はいつも僕に刺激をくれるんです。とか答えた人はちょっと待ってて後でそこは掘っていくから)

 

それはなぜか?

 

恋とは自己ロマンの投影であり、

"あちら"と"こちら"の一致可能性

苫野一徳 「愛」より引用

 

だからだよ。

 

今から詳しく説明するね。

 

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[第三章]恋愛とはサイエンスである

(※不覚にも自分でタイトルを書いておきながら、書きながら笑ってしまった。)

 

恋ってのはさ運命的で偶然的で不随意的なモノって解釈されてたりするんだけど、実は科学で証明されているところも多いんだよね。

 

例えばね。

好きになる相手。

 

まぁ街を歩くカップルを見れば分かるけど、

だいたい同じようなレベルの、同じようなタイプの人が手を繋いで歩いているね。(オレの目にはスカウターが付いているよ)

 

これは科学的に証明されているらしく、

自分の恋愛市場価値と同じ、もしくはちょっと上のレベルの人を好きになりやすいらしい。(付き合ってからの幸福度も高いんだと)

 

つまり、モテ偏差値で57だと自己認知している人は40や80と判断した人の事は好きになりにくいという事。(他人の評価じゃなくて自己評価ね)

 

ほんでだ。

 

よくさ、合コンとかで審判が見たら偏差値は40対65だな。みたなのってのがあるらしい。

(オレは合コンなんてのは行ったことが無いから分からないけど)

 

そうなると当然あまり盛り上がらないわけよね。んで、おもしろいのが終わり頃になるとなぜか、偏差値40の側が「あんたらとなんか二次会に行かないわよ」みたいな雰囲気を出してくる。

(オレは合コンなんてのは行ったことがないから分からないよ。)

 

それはなぜかっていうと

①そもそも自覚している偏差値が違うから恋に落ちにくい

②"可能性"が0に近いから恋に落ちない

 

である。つまりね。女の子が言う優しい人がタイプなの。とか。優しくされるとキュンとする。は"可能性"だ。

 

そう"可能性"。これこそが"恋"だ。

 

[第四章]"恋"のまとめ

恋愛感情の構成要因は3つ。

 

①欲求②虚像③可能性

 

①「欲求」

先ほど説明した通り、性欲に代表するもの。

承認欲求や帰属欲求もそうだろう。

 

②「虚像」

ってのは自己ロマンだよね。

タイプとも言えるかな。

 

背が高くて、筋肉質で、真面目で、面白くて。

安定した仕事についていて、お洒落で。

そんな人が側にいる。(オレやないかい。)

 

そして、休みの日には2人でお洒落なカフェに行って、みなとみらい辺りでショッピングするんだ的な。(オレやないかい。)

 

これが自己ロマン。

 

この自己ロマンに虚像を近づけるんだよね。

ため息のような情報さえも原料に。

 

その人がコーヒーを飲んでるだけで。

その人が横浜の近くに住んでいるというだけで。

 

back number  高嶺の花子さん

「好きなアイスの味はきっと」ってヤツね。

 

③「可能性」

そんな人がこの世に実在し、ましてや私のすぐ手の届くところにいるではないか。

 

たまに目が合うし、LINEだって返ってくるし、ぽん酢好きは共通だし、瓶ビールだって交換して飲める。

 

この"可能性"にドキドキするんだよね。

 

つまり

恋とは自己ロマンの投影であり、

"あちら"と"こちら"の一致可能性。

 

この言葉につきる。

 

(ちなみに自称モテコンサルタントの友人がいて、そいつのスカウターは業界一らしく、僕を計測してもらったところ偏差値57。自称68だぞこら。)

 

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今回はここまで。【後編】に続く

 

 

 

 

 

 

菅野雅之