若人の考えていること。

思いのままに書いています。

"愛"と"恋"と"性"【後編】

 

昨日の【前編】に引き続き、読んでいただきありがとうございます。

※前編はこちら

"愛"と"恋"と"性"【前編】 - 若人の考えていること。

 

まぁ。恋愛研究所代表の菅野から

お前たちに1つアドバイスするとするなら。

 

「絶対に"追うな"」だな。

 

前編でも言った通りだが、

"追う"という行為は自ら戦闘能力を

相手よりも下に示す行為だからな。

そんな自分より戦闘能力の低い相手には

魅力を感じない。

 

なぜなら"自己ロマン"の投影だからな。

 

「愛情表現はストレートにした方が良い」

ってのは嘘だからな。盲目的に信じるなよ。

そこのモテないヤツ。(欧米かぶれの自称モテコンサルの友人が、実際に僕にしたアドバイスだ。)

 

あれは関係性が出来上がってからの話であって、付き合ってもいないのに「好き、好き」言ってたらドン引かれるからな。(全然実体験じゃねぇからな。得意のスクショでここだけ切り取って送るなよ。)

 

まぁ冗談はさておき、ここから本題に入る。

 

[第五章]"性"を考える

 

しかしね。

そろそろ感じてると思うんだけど、

一口で恋愛と言ってもね。違うんだよ。

 

"男性"と"女性"で。

 

男女雇用機会均等法やLGBTQなど

"性"に関する様々な議論が行われている

現代において、このように"男性"や"女性"といった二項対立的な議論は避けた方が良いのかもしれない。

 

しかし、こんな時代だからこそ。

 

"男性"と"女性"の違いをあえて問うてみたい。

 

これまで生きてきて、そして恋愛をしてきて、疑問を抱いてきた事はないか?

 

なんで男って浮気するの?

なんで男が告白しなきゃいけないの?

なんで女ばかりが「結婚は?」って聞かれるの?

なんで女って「好きアピールはするけど自分から告白はしないなぁ」とかインスタで偉そうに言ってんだこらぁ。(ハァッ。ハァッ。ハァッ。申し訳ない感情的になってしまいました。)

 

これには"性"が密接に関わっているからなんだ。

("密"がついているけど多分大丈夫だよ)

 

今から大事な話をするね。

 

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"男"と"女"

 

"精子は新しく作られる"

"卵子は新しく作られない"

 

男性は"授ける"

女性は"授かる"

 

男性は"より多くの子孫を残したい"

女性は"より良質な子孫を残したい"

 

男性には"選択権がある"

女性には"拒否権がある"

 

よって

 

男性は関係をもった人を悪く言う。

女性は関係をもった人を良く言う。

 

男性は関係を持てずフラれた相手を良く言う。

女性は関係を持てずフラれた相手を悪く言う。

 

テラスハウス

1人の男性(りょうさん)の事を、

3人の女性が意識してる時期があった。

 

結果、誰一人として形にならなかった。

(明確にフラれてない人もいるけど、結果としては形にはならなかった。)

面白いのが3人とも好意をもっていたのにも

関わらず、部屋でのガールズトークでは

3人してその男性の悪口を言うというシーンがあった。これは典型とも言える例だよね。

 

一方で男は、フッた女を悪く言いがち。

(オレはそんな事ないよ♡)

高校の同級生と飲んだ時に、

「あれ、最近インスタに写真載ってないけど別れたの?」と口火を切ると、そこからは結構エグい話が始まる。

これは選択権の行使だよね。

 

だから別れても友達でいようね♡

って言うのはだいたい女の方で、

 

それにYESと答えるのは肉体的快感を得るためだけにセックスをしたい男だと思うよ。

(超完全なる個人的な偏見です。エビデンスはございませんご了承下さい。)

 

"最低な男"と"綺麗でいたい女"
 

"選択権"と"拒否権"

これをどれだけ行使できるか。

という事を無意識にしてしまっている事に、

そして、それに振り回される事に、

時々嫌気がさすね。

 

遠距離恋愛

彼女は彼に会いたくて会いたくて震えていた。

クリスマスに半年ぶりに彼に会える。

彼の好きなレストランを予約し、

夜景の見えるホテルも予約した。

そして互いにプレゼントを交換した。

そしてロマンチックが最高潮に達した時。

彼は言った。「別れよう」

(おぉーーーい)

 

想像しただけでも涙がでるよ。

 

男は"選択権の行使"。

つまり、他にもっと惹かれるメスがいれば

これを行使する。

 

男は、いつも最低だ。

 

【綺麗なお姉さん】

綺麗なお姉さんに恋をした。

誰がどう見てもモテる。

そして"優しい"。

2人でデートも行くし、向こうから連絡だって来る。え?これもう付き合ってんじゃね?

(勘違いで舞い上がる男)

よし。男なんだからはっきりさせよう。

勇気を振り絞って告白した。

「え?そんなつもりないよ?これからも友達でいようね♡」(なんじゃそらぁーーーー)

 

※全然実体験じゃねぇからな。

 

女は"拒否権の行使"。

オス鳥にどれだけ"求愛の舞"をさせられるか。

それでメスの価値を測るのだろう。

 

そういう女はだいたい、歳上のとか、役職が上とか、お金持ち。という"一見"恋愛偏差値が高く見える男と、よろしくやるんだよな。(これまた超完全なる個人的な偏見です。ここだけスクショしてグループLINEで回さないでください。)

 

女は、いつも綺麗でいたいんだ。

 

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【第六章】"愛"を考える
 

"恋"や"好き"や"結婚"や"男"や"女"や"セックス"や"欲求"について考え、因数分解してきた。

 

人はそれぞれ、好きなタイプや、恋愛や結婚に対する考え方、性的指向がある。

 

"条件"があるとも言えよう。

 

しかし、愛に"条件"などというものは無いという者もいるだろう。

 

苫野氏はこう言った。

無条件の愛とは、誰かを愛するのに

条件は必要ないという意味ではない。

それは、ひとたび誰かを愛しはじめて、

その愛に条件などないと

意思しうるものなのだ。

「愛」より引用

 

そう。全ての人を愛せ。というような人類愛的な事ではない。

 

タイプもあるし、ストライクゾーンもある。

偏差値という自己認知と他者評価もある。

 

愛の入り口の1つに恋がある事は確かだ。

しかし、そればかりでは無いのも確かだ。

親の子への愛。教師の生徒への愛。

 

私自身"愛とは何か?"と問われて

鮮明に言語化はできない。

 

しかし、恋を理解し取り除く事ができれば"愛"が少しずつ、型抜き的にぼんやりと浮かび上がってくるかもしれない。

 

 

【第七章】それでも僕らは生きている
 

愛が無くても子どもができてしまう。

愛があっても子どもができない場合もある。

 

現代は"性"に関して寛容になったのか、

窮屈になったのか。

 

変わる事もあれば、変わらない事もある。

 

男性は子どもを産む事はできない。

それは女性の体を持ち、女性として生きていく事を決めた人の義務ではなく権利だし、前述した通り、結婚は制度だ。

 

女性の社会進出も選択肢の一つとなった。

 

磯野家や野原家や野比家のよう家庭を築く事は、あくまで選択肢の一つだ。

 

"平等"とは"同一"では無い。

"平等"は"違い"から始まる。

 

同じだと叫ばれている背景には

"違い"があるからで。

まずは僕たちはそれを理解しなくちゃいけないよね。

 

いつでも過剰な反応をして、

キーッと怒っているのは、

事実を無いモノとしたり、同じモノであろうとするからなんだよね。

 

それを恋愛という例を通して考えたかった。

 

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あとがき

 

それなりにブログを書き続けてみて、

バズるブログもあれば、

バズらないブログもあった。

 

バズると800くらいのアクセスがあって、

バズらないと100くらいしかアクセスが無くて凹んだりもした。

 

でも、バズらなくても100人には届けられていると思うと嬉しかった。

 

今回も最後まで読んでくれてありがとう。

 

今読んでくれている"あなた"は恐らく"遠い誰か"では無く、僕の事を知っている"近くの誰か"なんだと思う。わからないけどね。

僕の友人なのか、恋人なのか、定時制の生徒なのか、野球部の生徒なのか。

 

例え、同じ内容の話を"遠い誰か"がしていたとしても、それが芸能人だとしても"近くにいるあなた"に響くのは"近くの私"のメッセージである事もあったりする。

 

今回は恋愛について、面白おかしく僕の持論を交えながら書いた。

 

恋愛のディスカッションは誰でも参加しやすいからね。

 

でも僕のが一番みんなに問いかけたかったのは

"性"や"社会"や"平等"についてなんだ。

 

恋話は一つの手段だった。

 

様々な変化をしてきたこれまで。

その中で変わらないものもあった。

 

そして"今"時代は大きく変わる。

普通の事が普通じゃなくなるだろうね。

 

知ってる事で余裕が生まれる。

そして知らない事は知らないという。

 

いつまでも教師のお面つけて、知ってるふりした演技ができるのも終わりかなと思ったりもするよね。

 

 

 

 

菅野雅之

 

※文章で表現した男性・女性は身体的性での男・女です。

※男と女以外にも様々な性的指向がある事は理解した上で今回はこの2つの性を取り上げてました。

 

参考文献 苫野一徳 「愛」

 

愛 (講談社現代新書)

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  • 作者:苫野 一徳
  • 発売日: 2019/08/21
  • メディア: 新書
 

 

 

 

 

 

 

 

"愛"と"恋"と"性"【前編】

【愛と恋と性】


今回は、いつの時代もお前たちの頭を悩ませている"恋愛"について、モテスギ君こと、

菅野恋愛研究所代表である

菅野がお前たちに"恋愛とは何か"について教えてやる。

 


しかしだ。注意が必要だ。というのも、この文章を読んでしまったからには、もう"西野カナ"には戻れない。

 


友達がキラキラして話している恋話に素直に「わかるー」とは言えなくなるからな。

 

しかし、それと引き換えに恋愛に対する無駄な悩みは消えるだろう。

 


その覚悟がある者のみ先に進んでくれ。

 

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さあ。ここから序論に入っていく。

 


どの時代も友達に相談した内容ランキング

第一位に君臨し続けている"恋愛"。

(※菅野恋愛研究所調べ)

 


俗に言う"恋バナ"にお前たちは一喜一憂し、いつも頭を悩ませている。

 

おそらくこの恋愛に関しては、

太宰治いや、織田信長いや、卑弥呼くらいの

時代の人も同じように"恋愛感情"という、

ドキドキして胸が締め付けられるような

"あの感じ"を味わっていただろう。

(あ、これ大事だよ。テストに出ます。)


そして、もっと言うなら

人間のみならず生物全般に共通する部分も多いのは確かだ。

 

それでは"愛"と"恋"と"性"を考えよう。

 

 

[第一章]恋愛と結婚とセックスを考える

 


現代は、

 


好きな人と恋愛して

好きな人と結婚して

好きな人とセックスをする

 


という3位一体を「善」としている雰囲気を感じずにはいられない。

 

芸能人が不倫をすれば袋叩きにし、

長年付き合っている彼氏彼女がいても、

結婚に踏み込もうとして破局したり。


しかし、

そもそもこの3つが全て揃っていなければならないという時代はそう長く無く、

むしろごく最近の話である。

 


少し前まではお見合い結婚が一般的であったし、日本には混浴という文化もあった。お祭りの日は無礼講で不特定多数の人と性交をかわした歴史もある。

 


つまり、恋愛と結婚とセックスは互いに分離していたのだ。

 


では、そもそも結婚という制度ができたのはいつか?というと、これは人間という生物が"定住"し始めた頃だと言われている。

 


狩猟採集民族から農耕民族へ移り変わる事で、人間は定住することができるようになった。

 


そしてそこでは財産を貯蓄するということができるようになった。

 


そこで生じた問題が1つある。

それは"相続"をどうするかということである。

 


せっかく集めた"財"を

自らの命と共に失ってしまう事は

本望ではなく、後世に、そして"誰か"に

残したい"と思ったのであろう。

 


しかしそこで1つ問題が発生する。

そう。"誰に"をどう判断するかである。

 


私があの人から最も愛されていたわ。

いいえ。私はあの人の子供よ。

いいえ。私はあの人と約束をしていたわ。

 


というように。

 


つまりそこには社会的に認められた

"制度"が必要であったのだ。

 


そこで生まれたのが"結婚"という制度である。

社会的に認められた相手、

もしくはその子供に財産を相続するための制度。それが結婚であった。

 


では、子供はどうしていたか?

 

今のように医療技術が発達していなかった当時は出産とは女性にとって大きなリスクであった。(今もその事に変わりはないけど)

 

そしてそれは人間のみならず生物全般に共通する事である。

 

無事、出産することができたとしても"大人"まで育てる事は医療技術の観点やその他の要因からも困難を極めた事は、容易に想像ができる。

 

その事から村や集落で子どもを育てたと言われている。(その村の人口が減るという事は、その村の死活問題だからね)

 

パートナーが親として関わるのは子供が生まれてから2〜3年といわれている。

 

その後、女性と男性の関係は解ける。

一定期間のみだったという事である。

 


その期間を終えると別のパートナーとの関係をもち、女性は生涯で計5〜6回の出産をしたという。

 


驚くかもしれないが、遺伝子に変化をもたせ、人類の継承という観点からすれば必然だったのかもしれない。

 


※様々な諸説があります。

 


恋愛においても、現代の意味する恋愛とは違い、基本的には結婚後に関係をもつ事を恋愛と呼んだ。つまり、現代の言葉でいう"不倫"に位置づけられたモノである。

 

理由は前述の通りである。

そもそも結婚は制度であり、セックスも恋愛とは分離されていた。逆に、ある意味でセックスと恋愛は"同じモノ"と捉えられていたのかもしれない。

 

つまり、恋愛と結婚とセックスは分離されていたってこと。

現代のような結婚を頂点とした三位一体構造が生まれのは超最近だってこと。

 

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[第二章]"恋"を考える

 

つまりだ。上記のことからもやっぱり
「男は"SEXをしたいという欲求"と"この人が好きという感情"を勘違いする生き物だ」という事は言える。

 

なぜなら恋愛とセックスは分離されていて、

ある意味では同一のモノであったからだ。

 

しかし、そんな事を言うと

「オレはそんな事はない!」と言い張る

清純派若手俳優みたいなツラをした

ヤツが一定数出てくる。

 

そうだ。お前の事だ。

 

それではお前に聞こう。

(ここからは性別は問わないぞ。男も女もゲイもバイもレズもだ)

 

 

今、好きな人の事を想像しろ。

 

 

 

 

 

(おい。鼻の下伸びてるぞ。笑)

 

問うぞ。

「なぜ、その人の事が好きなんだ?」

 

 

 

 

 

(顔が赤くなってるぞ。是非ともZOOMでこのやり取りをしたいものだ。ハッハッハッ。)※まだZOOM使った事ないんだけどね。

 

 

 

 

答えが出たか?

 

オレは悪いが、お前たちが答える内容など容易に想像がつく。

 

どうせ。

「一緒にいて楽なんだよねー。」とか

「なんかノリが合うっていうか。」とか

いう薄っぺらい理由だろ?

 

 

そうなんだよ。そこなんだよ。

 

安心しろ。誰も、

なぜその人の事が好きなのか?

なぜ恋に落ちたのか?

なんてのは答えられないんだ。

 

そう。いつも僕らは適当なそれっぽい事を言って誤魔化すんだ。

 

(私はクシャッて笑うあの人が好き。とか。あの人はいつも僕に刺激をくれるんです。とか答えた人はちょっと待ってて後でそこは掘っていくから)

 

それはなぜか?

 

恋とは自己ロマンの投影であり、

"あちら"と"こちら"の一致可能性

苫野一徳 「愛」より引用

 

だからだよ。

 

今から詳しく説明するね。

 

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[第三章]恋愛とはサイエンスである

(※不覚にも自分でタイトルを書いておきながら、書きながら笑ってしまった。)

 

恋ってのはさ運命的で偶然的で不随意的なモノって解釈されてたりするんだけど、実は科学で証明されているところも多いんだよね。

 

例えばね。

好きになる相手。

 

まぁ街を歩くカップルを見れば分かるけど、

だいたい同じようなレベルの、同じようなタイプの人が手を繋いで歩いているね。(オレの目にはスカウターが付いているよ)

 

これは科学的に証明されているらしく、

自分の恋愛市場価値と同じ、もしくはちょっと上のレベルの人を好きになりやすいらしい。(付き合ってからの幸福度も高いんだと)

 

つまり、モテ偏差値で57だと自己認知している人は40や80と判断した人の事は好きになりにくいという事。(他人の評価じゃなくて自己評価ね)

 

ほんでだ。

 

よくさ、合コンとかで審判が見たら偏差値は40対65だな。みたなのってのがあるらしい。

(オレは合コンなんてのは行ったことが無いから分からないけど)

 

そうなると当然あまり盛り上がらないわけよね。んで、おもしろいのが終わり頃になるとなぜか、偏差値40の側が「あんたらとなんか二次会に行かないわよ」みたいな雰囲気を出してくる。

(オレは合コンなんてのは行ったことがないから分からないよ。)

 

それはなぜかっていうと

①そもそも自覚している偏差値が違うから恋に落ちにくい

②"可能性"が0に近いから恋に落ちない

 

である。つまりね。女の子が言う優しい人がタイプなの。とか。優しくされるとキュンとする。は"可能性"だ。

 

そう"可能性"。これこそが"恋"だ。

 

[第四章]"恋"のまとめ

恋愛感情の構成要因は3つ。

 

①欲求②虚像③可能性

 

①「欲求」

先ほど説明した通り、性欲に代表するもの。

承認欲求や帰属欲求もそうだろう。

 

②「虚像」

ってのは自己ロマンだよね。

タイプとも言えるかな。

 

背が高くて、筋肉質で、真面目で、面白くて。

安定した仕事についていて、お洒落で。

そんな人が側にいる。(オレやないかい。)

 

そして、休みの日には2人でお洒落なカフェに行って、みなとみらい辺りでショッピングするんだ的な。(オレやないかい。)

 

これが自己ロマン。

 

この自己ロマンに虚像を近づけるんだよね。

ため息のような情報さえも原料に。

 

その人がコーヒーを飲んでるだけで。

その人が横浜の近くに住んでいるというだけで。

 

back number  高嶺の花子さん

「好きなアイスの味はきっと」ってヤツね。

 

③「可能性」

そんな人がこの世に実在し、ましてや私のすぐ手の届くところにいるではないか。

 

たまに目が合うし、LINEだって返ってくるし、ぽん酢好きは共通だし、瓶ビールだって交換して飲める。

 

この"可能性"にドキドキするんだよね。

 

つまり

恋とは自己ロマンの投影であり、

"あちら"と"こちら"の一致可能性。

 

この言葉につきる。

 

(ちなみに自称モテコンサルタントの友人がいて、そいつのスカウターは業界一らしく、僕を計測してもらったところ偏差値57。自称68だぞこら。)

 

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今回はここまで。【後編】に続く

 

 

 

 

 

 

菅野雅之

アスリートと言語

[体育会系が好き]

 


なぜだろう。

僕はアスリートが好きだ。

 


スポーツをしている人、スポーツをしていた人に魅力を感じる。

 


そしてそれはなぜか、嗅覚的なもので分かってしまう。

 


例えそれに言語での説明が付け加えられたとしても、魅力的に感じていたものが、ひっくり返る事はない。

 


「僕、学生の頃は野球をやってたんですよ。」と言われても、どれくらい本気でやっていたかは、やっぱり嗅覚で分かってしまう。(超個人的主観でしかないんだけど)

 


僕が幼い頃からスポーツをしていたからなのか、今もスポーツに関わっているからなのか。

 


それも要因の一つではあると思うんだけど、どうもそれだけでは無いような気がしてならない。

 


今回はそれを言語化していく。

 

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[能力総動員体験]

 


この前、RIZINの特集番組を見てたんだよね。これがさ、痺れるんだよ。

 


格闘技なんかはさ、特にそうなんだけど

「やるか、やられるか」の世界なんだよね。

 


ケガなんてのは当たり前で、下手するとリングの上で命を落とすリスクだってある。

 


しかも、あの人達はそれで飯食ってんだよ。

普通じゃないよね。

 

 

 

試合前は、恐怖と不安に怯えて、緊張で足が震える。

 


北岡悟選手の入場なんか見れば分かるけど、完全にハイになって、もうイッちゃってるんだよね。

 


勝てば、喜びと興奮で体が痺れる。

 


負ければ、悔しさと情けなさで、大人が本気で泣くんだ。

 


こんなのって日常を普通に生きてれば経験できるもんじゃない。

 


"知力"と"精神"と"体力"を総動員して、人生を懸けて戦う。

 

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その人の人生の中で"1番強ぇ今"がぶつかるんだよね。

 


GO三浦さんが言ってたけど

"人間が能力総動員する瞬間に人は感動する"って。

 


その"能力総動員"した経験の有無ってのは、

人を豊かにするのかもしれない。

 


そしてそれは"分かる"のかもしれない。

 

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[共同身体性と共通感覚]

 


そう"分かる"んだよね。

言語を介さずとも。

 


この言語を超えたもので通じ合う共同身体性。これがスポーツをしていた人の魅力だ。

 


この前、宮台真司さんが言っていたけど

「共同身体性の欠如は人間をクズにする」って。

 


これは野外学習であったり、スポーツであったり、セックスであったり。

 


これらの共同身体性と共通感覚をどれだけ体感できるかが人の魅力を引き立てるんだと思う。

 


なぜなら僕らは、"自分が語れること以上にずっと多くのことを知っている"からね。

 


だからアスリートの言葉は魅力的なんだよね。

 


だから青木真也選手の言葉は美しいんだ。

だから本田圭佑選手の言葉は強いんだ。

だからイチロー 選手の言葉に前のめりになって、かじりつくんだよ。

 


だからあの瞬間に感じた、感情や、体の震え、体の痺れ、汗や涙の温度。それらを知りたくて、聞きたくて"インタビュー"するんだ。

 


だから青木真也

「35歳になって好きな事やって、家庭壊して1人ぼっちで格闘技やって、どうだお前ら羨ましいだろ」という言葉に震えるんだ。

 


だから北岡悟

「明日からまた生きるぞ」に背中を押される。

 


この"言語"以外のモノで繋がり、感じ合う共同身体性と共通感覚。だからこそ"言葉"が磨かれる。

 


格闘技でも、球技でも、相手とも、味方とも、なにかを感じ合っている。そしてそれはお互い一致しているかは不確かではあるけれど、間違いなく共通している。

 

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[スポーツの価値]

 


スポーツの価値を問われた時に、

チームワークとか、思いやりとか、感謝の気持ちとか、礼儀挨拶とか言う人が多いんだけど、どうも僕はしっくりこない。

 


そんな薄っぺらいモノじゃないと思うんだ。

 


足を震わせ、我を忘れるほどに熱狂する"能力総動員体験"

 


言葉以上のモノで相手と仲間と繋がる"共同身体性と共通感覚"

 


これがスポーツの価値であり、魅力だと思う。

これらの経験が人を魅力的にさせるのだと思う。

 


勝利至上主義に教育的意義はあるのか?と偉そうに言ってる人がいる。

 

確かに勝利至上主義だけでは教育的意義は無いのかもしれない。

 

しかし、"勝利"を捨てたスポーツにもまた、教育的意義は無いのでないだろうか。

 


あなたは能力総動員した経験はあるか?そして、言語以外の何かで繋がった経験はあるか?

 


もちろん、体を壊して、勉強もろくにせずに、挨拶もまともにできないような勝利至上主義には僕は真っ向から反対だ。

 


しかし、スポーツをする上での最も重要な"教育的意義"はここにあるんじゃないかと思う。

 

少なからず僕はそう思う。

 


今こうして考える"スポーツの価値"

またそんな日常が戻ることを願って。

 

 

 

菅野雅之

卒業生へ

 

 

卒業おめでとう。

 

今回のコロナウイルスの件といい、

あの件といい、色々な事があった学校生活。

 

ある意味で一生忘れないであろう物語を

生きている君たちへ。

 

菅野雅之が感謝の想いを込めて文章を綴ります。

 

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「時の流れ」

 

 

落合陽一さんが

「時間は"未来"から"過去"に流れている」

と言っていた。

 

この人は、頭の回転が普通の人より何倍も早い方なので、僕はこの人が何を言っているのか、

さっぱり分からなかった。

 

普通の人は時間というものを、

"過去"から"未来"へ流れているモノ

だと捉えているだろう。

 

僕もその一人だった。

 

過去は変えられる

 

ある日の事だ。

「マチネの終わりに」という映画を観た。

 

その劇中にこんなセリフが出てくる。

 

『人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える』

 

どういう事かと言うと

 

例えば、庭には大きな石がある。

幼い頃、私はそれをキッチンに見立てよく「おママごと」をして遊んだ。

 

だから私にとって、

その石はただの石では無い。

 

石を見れば、幼い日の事がふと蘇り、

私を愛してくれた母や兄弟をも思い出す。

愛着のある、そんな意味のある石である。

 

しかし、ある日の事

その庭にある大きな石に、私の大切な誰かが頭を強くぶつけた。大きな事故となった。

 

転んだ際にたまたまそこに、その石があったそうだ。

 

"あの石さえなければ"と私は強く思う。

 

あの日の私にとって、"あの石"は

幼少期を思い出し、家族の愛を感じる

とても"よい石"であった。

 

しかし、ある日を境に

"あの石"は、大切な人に危害を加えた

"無ければよかった"モノになってしまった。

 

このように、常に過去は変わってしまうし、

変えられてしまう。

 

そして、それと同時に変えることができる。

 

人は過去に意味を付け加えるために生きている。

 

そうなのかもしれない。

 

私は、

お前の練習は無駄だと言われた過去。

理不尽に耐えれば報われると思っていた過去。

肘を故障し、競技選手を諦めた過去。

 

に何かしらの意味を付け加えたくて

それらを、"ただの出来事"で終わらせたくなくて未来に夢を抱き、今を生きている。

 

過去に意味を与えたくて。

 

この時、初めて時間は未来から過去に流れ出すのだろう。

 

正しい転び方の説明書

 

自転車に初めて乗る時、人間は誰しもが転ぶ。

 

それは、できない事をしているからだ。

 

何かに挑戦しているからだ。

 

ここで大事なのは、

「絶対に転ばない」という努力だよ。

そして「絶対に転ぶことを恐れて逃げてはならないよ」君が本当に自転車に乗りたいのなら。

でも、「絶対に転ぶから」。

 

本気で自転車に乗りたいのなら、

絶対に転ばない努力をして、

転ぶことを恐れずに、

思いっきりペダルを踏もう。

 

転ぶ時は、笑って転ぼう。出川哲郎のように。

落ちる時は、笑って落ちよう。上島竜兵のように。

 

それがネタになる。そしてその全力で転んだ

過去に意味を付け加えながら生きていくんだ。

 

全力で転び、全力で落ちよう。

 

転んだフリをするな。

落ちる演技もするな。

 

助演男優賞悲劇のヒロイン部門」を

受賞するな。全力でペダルを踏め。

 

大丈夫。

 

 

感謝。菅野。

 

 

あとがき

 

だいぶカッコいい文章を書いてしまった菅野を許してください。こういう日にしか書けない文章があり、こういう日にしか届けられない文章があります。

 

本来なら直接会って話をしたかったところではありますが、今回は菅野らしくブログでメッセージを送りました。

 

ひょっとしたらブログの方が

伝わることもあるでしょう。

 

さぁ。もうイジりたくてたまらないのは、

君たちの顔を見なくても分かります。

 

毎回、僕がブログを更新した翌日には必ず、

ニヤニヤした顔をして、君たちはグランドで僕を迎えてくれたので。

 

もうその事がわかってからは、

わざと更新日をオフ前日からはズラしてやりました。いじられたがり屋です。

 

さっさと拡散してください。拡散させるのは得意でしょうから。笑

 

 

あらためまして卒業おめでとう。

 

僕が君たちに何かしらの"意味"を与えられたなら嬉しく思います。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

菅野

 

"役に立つ指導者"と"意味がある指導者"

【結論】

『どれだけお金を集められるかをモノサシにしろ』

 

これが「何を基準に指導者を評価するか?」

に対する答えの1つだ。

(またお金、お金言ってるよ)

 

私は"健全なスポーツ界へ向けて"とし

「指導者を職業に」

「良い指導者が選ばれるスポーツ界に」

という主張をした。

 

そこで生まれた疑問が

とはいえ、何を基準に指導者を評価すんの?

結果を残したかどうか?1番じゃなきゃダメなんですか?勝てれば良い指導者なん?

 

というところだ。

整理すると

 

①指導者の力量を測るモノサシは何か

②良い指導者とは

 

である。それを今回は考えていく。

 

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"役に立つ"と"意味がある"

 

"役に立つ"と"意味がある"

今回はこの視点から考えていく。

 

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引用:山口周「NEWTYPE

 

ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式

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上の表を見れば一目瞭然だが

車で例えるとこうなる。


「役に立つ代表」はトヨタや日産。

燃費が良くて、運転がしやすくて、音も静か。

 

「意味がある代表」はランボルギーニフェラーリだ。

燃費は悪いし、車高は低いし、うるさい。

でも、ブランドがあり、哲学があり、カッコいい。

 

 

コンビニで説明するなら

「役に立つ代表」はハサミである。

これは1番切りやすいものが、1つ有ればよい。

2番目に切りやすいハサミなど用無しだ。

 

「意味がある代表」はタバコである。

タバコは役になど立たない。

 

タバコの銘柄は、何らかの意味があって選んでいる。だから何十種類もコンビニレジ裏という限られたスペースに並べられているのだ。つまり1番じゃなくても意味があるのだ。

 

そしてその両方を手にしているのが

iPhoneであり、BMWだ。

 

(山口周さんのNew typeおすすめです)

 

指導者のモノサシ

 

では、どんな指導者が評価されるべきだろうか。

 

"指導者の評価基準"と聞いて

パッと思いつくのは何だろうか。

 

冒頭でも、述べたように

おそらく真っ先に思いつくのが

"勝敗"つまり"結果"だろう。

 

勝敗はスポーツにおいてとても重要だ。

「勝利」を目指すからこそ価値がある。

 

しかし、私はそれを指導者を計るモノサシにしてはならないと思う。

 

なぜなら、その指標は「役に立つか否か」であるからだ。

 

そう。役に立つモノは1番でなければ価値がない。2番目に切りやすいハサミなど必要無いのだ。

 

つまり、甲子園に行けなければ意味がない。

全国制覇しなければ意味がない。

となってしう。そう。意味がない。だ。

 

「そんなことは無い」と

私を含めた多くの人が思っているだろうし

そう思いたいはずだ。

 

"役に立つ"選手の末路

それは指導者にも選手にも同じ事が言える。

現状は、役に立つ選手を育て、

役に立つ選手になろうと努力をしている。

 

しかし、"役に立つ"は1番役に立つモノしか

価値がないから、不要とされてしまっている。

 

それもまた、現状だ。

 

 

"意味がある"指導者

 

それでは"意味がある"指導者とは

なんだろうか。

 

それは"勝てなかったけれど、この人の元で野球ができて良かった"と思ってもらえる事であると思う。

 

この人と野球をする事に意味がある。

という指導者だ。

 

間違えてほしくないのだが、

勝てなくてよい。と言っている訳ではない。

 

能力総動員し、最後の最後まで

本気で勝ちを目指す。

これは私の指導者としての哲学だ。

 

しかし、スポーツをしていれば必ず負ける。

高校野球は参加している3000校以上のなかで

甲子園優勝校1チーム以外は負ける。

吉田沙保里でさえも負ける。

 

"負け"をどれだけ意味のあるモノにするかが

指導者に問われていると思う。

 

名監督の共通点

 

野球の名監督と聞かれて、誰を思い出すだろうか。

 

長嶋茂雄野村克也星野仙一落合博満原辰徳、、、、、

 

誰でもよい。名監督には共通点がある。

それは、「どれだけ勝てたか」ではない。

 

もちろん優勝経験はあるが、それと同じくらい最下位経験だってある。

 

結果を残したという理由だけで、私たちの頭の中に御出演していただいた訳ではないだろう。

 

しかし、この面々が名監督と称される

その理由は"キャラが確立してるから"だと菅野は思うのだ。

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キャラの何が良いのか

キャラとは何か。3秒で説明しよう。

 

それは"もしもシリーズ"を作れるか?だ。

 

もしもシリーズとは、ドリフターズのテレビコントで人気のシリーズだ。「もしも〜が〜をしたら?」という想像で笑いを作るコントである。

 

つまり、虚像・幻想を作りやすいか?

である。

 

もしも、野村克也が寿司屋の店主だったら?

もしも、落合博満が美容師だったら?

 

なんとなくイメージがつかないだろうか。

 

この、この人だったらこう言うだろうな。

こうするだろな。がキャラだ。

 

そして、この虚像・幻想というのがミソだ。

これを描いてもらえる事で、裏切る事が可能になる。言い方を変えれば想像を超えられるのだ。

 

想像を超えるとは、想像してもらえている前提だ。

 

その"ギャップ"や"想像以上さ"に、また魅力を感じるだろう。

 

現代風に言うと"ハッシュタグ"をもっている。

だろう。

 

長嶋茂雄なら #ミスター

野村克也なら #ID野球

星野仙一なら #闘将

 

これにこそ、意味がある。

 

"意味がある"の因数分解

 

ここでもう少し"意味がある"について

掘り下げよう。

 

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そして、ファンがうまれると支援が増える。

支援が増えるという事は、経済的に自立していける。ここが前回のブログに繋がるし、冒頭の結論に繋がる。

 

だからどれだけ経済的自立されているかを判断基準の1つとするのは重要なんじゃね?っていう見解。

 

いずれにしても"発信"する事が重要である。

 

ここを取りこぼしているのが現状であり、

これこそが可能性である。

 

逆に言うと、発信しなくてはならないのは

ストーリーであり、失敗であり、哲学だ。

 

そこを狙うのであれば、

組織のオフィシャルアカウントも大事だけど、

個人の実名アカウントだし、

 

内容は役に立つ取り組みではなくて、

物語や考えや哲学だ。

 

まとめ

 

現代のアマチュアスポーツ事情と社会背景を踏まえると、

 

①今まで以上に、"役に立つ"指導者に対する選手からの信頼性は上がる。

②でも、それじゃあバッティングスクールとかオンライン指導でもYouTubeでも良くね?ってなる。

③"意味のある指導者"の時代へ

 

という流れだと菅野はにらんでいる。

 

※そもそもどんなに意味があっても、車のクセに走らなかったら話にならないけど。

 

つまり"良い指導者"とは

意味がある指導者であり、キャラがある指導者である。そして"良い指導者"は、その選手にとっての"良い指導者"であるから、選択材料があった方が健全だよね。

 

現状は、切れるか、切れないか分からないハサミが説明もないまま売られていて、蓋を開けたら切りにくいけど、本人の腕力(努力)で頑張りましょう。の状況だから。

 

こうした背景を踏まえて菅野は社会実験的に"発信"を続けております。なので間違いなく"失敗もする"よ。

 

「失敗のない人生は、失敗する。」って

誰が言ってたよ。

 

 

現場からは以上です。

 

 

菅野雅之

 

 

 

 

 

 

 

教師は夢を追ってはいけないのか。

どうも。スマホ一台でYouTuberになるという抜群のコストパフォーマンスで最先端を走りながら、YouTuber界の最後尾に並んだYouTuberの菅野です。

 

実は私、学校の先生をしております。

 

とてもびっくりですね。

 

この前まで僕は高校生で、

眉毛を剃ったら野球が下手になる教に入信し、

高校3年春まで髪の毛よりも

眉毛の方が長い18歳でしたが、

片思いの女の子にモテたくて

眉毛を整えた結果、

見事夏のメンバー外の制裁を喰らった純なヤツです。

 

そんなヤツが教育者になった訳ですが

教員者でありながら、

どうも"教育"という言葉がしっくりきません。

 

生徒と5つくらいしか年齢が変わらないのもあってか恩着せがましいしので、正直好きではありません。

 

これはおそらく


"教えられる事よりも、一緒にやれる事の方が多い"からです。

 

人生を100年で計算してみると
私はまだ24歳です。

 

年齢と教えられる事の量が比例するのなら、

私はまだ4分の1も教えられない。

 

 

逆に、4分の3も一緒に生きていける。
だとするなら、実績も名誉もない私ができる事は生徒の少し前で挑戦して失敗する事なんじゃないかと思っています。

 

というか、教育という言葉をこんな感じで都合よく解釈してます。

 

先日、デビュー初日に再生回数11回で

華々しくYouTuberデビューをした私です。

 

その中でも話しましたが、僕は

「文化とブランドで高校野球を変えたい」

「指導者という職業を確立させたい」

と夢を語り夢想家デビューも

同時に果たしました。

 

しかし、

そんな夢を語ると

「教員なのにそんな事言っていいの?」とか

「生徒に見られても大丈夫なの?」とか

「一緒に働いている方の失礼にあたらない?」

など心配してくださると方もいます。

 

でも、僕は18歳の少し前を歩き挑戦する事が教育だと思っています。

 

その方が多くを伝えられる気がします。

 

もちろん、なんでもかんでもやってみるという訳ではありません。

 

いくつかの基準があります。

その中の一つが"説明できるか"です。

 

なぜ、YouTubeをやるのか。

なぜ、SNSでの発信をしているのか。

 

説明できることは、つまるところ責任です。

 

説明ができれば失敗した時にネタになります。

そして成功へのタネになります。

 

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先日、コービー・ブライアント選手や野村克也さんがこの世を去りましたが、それでも尚、私たちに彼らは何かを伝え続けてくれています。

 

それは彼が挑み続けていたからではないでしょうか。

 

答え合わせはまだ先です。

 

 

 

 

 

菅野雅之

高校野球に"お金"は必要ないのか。

 

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野球離れの本質

 

僕は野球をしていた。

そして今も野球に携わっている。

人生の多くは野球をしているか、

野球の事を考えている。

 

先日Twitterでこんなツイートを目にした。

 

どうやら、世の中では野球離れが進んでいるらしい。

 

正直に言う。僕はこれを見た時に"健全"だ。

と思った。

 

つまらないモノから人が離れていく。

必要のないモノから人が離れていく。

 

広い目で見れば、悪い事ではない。

 

それはとても"健全"だと思う。

 

サッカーをやりたい人がいても良いし、

バスケに没頭する人がいても良い。

運動をしない選択をする人がいる事も事実だ。

 

それを「野球は面白いので一緒にやりましょうよ!」と、やりたくない人に無理くりやらせるのは勘違いも甚だしい。

 

とても"不健全"だ。

 

まず、「〜離れが問題だ」と騒いでいるのは

その内輪の人間だけだ。

 

新聞離れ、テレビ離れ、ビール離れ、恋愛離れ、結婚離れ。

これらを問題視して騒いでいるのは、

新聞社だし、テレビを見ている人だし、恋愛して結婚してる人だ。

 

つまらないから離れる。

必要ないから離れる。

 

いずれも健全だ。

 

少子高齢化もそう。

 

決して少子高齢化が問題なんじゃない。

 

少子高齢化によって、ある一定の人へ何かしらのシワ寄せが出る事が問題だし、

それにより本来行使できるはずの権利が

行使できないのが"不健全"なのだ。

 

そう考えるとやはり"野球離れ"の本質は

野球に関わる人が減る事ではなく、

それによって野球をやりたい人が、

できなくなる事ではないだろうか。

 

私はこの観点から高校野球がしていくべき

"野球離れ"の対策を内輪の人間として提案する。

 

ロールモデル吉本興業

 

昨年世間を賑わせた吉本興業である事から

良くないイメージを持つ人もいるかも

しれないが、僕はこの吉本興業という

日本の芸能界を引っ張る企業を

参考にすべきだと思うし、

闇営業(ダイレクト課金)も将来的には

どんどん行っていった方が良いと思う。

(偉そうに問題発言をしている)

 

このまま補足説明を入れないと炎上案件なので全力疾走で説明する。

 

これはキングコングの西野さんが話してた内容なんだけど、(早速自分に降りかかったリスクを他人にぶん投げました。)

 

昨年の騒動が起きた際に、

若手芸人の人達の多くがSNS

吉本興業に対する不満をぶちまけたそう。

 

「ワンマンライブチケット完売して、

グッズも完売したのに、給料4,000円って

どないやねん!」みたいな。

 

でも、実はライブって会場満席にしてもほぼ赤字らしい。

 

これ、川谷絵音さんも言ってたんだけど、

アーティストがドームツアー満員にしても

収益はほぼ出ないらしい。

ファンサービスなんだって。

(二次的な経済効果はあるよ)

 

でも、若手芸人がなぜワンマンライブを

できるかと言うとダウンタウンさんなどの

超大御所がいるかららしい。

 

テレビなどでたまに耳にするけど

人気芸人の給料は?みたいな話題で

「吉本にほとんど持ってかれてるわー。」

みたいな話。

 

つまり、ダウンタウンさんや、MCや冠番組を持つような芸人さんの存在があるから、満員にしても赤字になってしまうライブができる訳なんだ。

 

って西野さんが言っていた。

吉本興業の騒動から学ぶ「お金」の話(2019年10月21日放送)/ Voicy - 今日を彩るボイスメディア

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前置きがだいぶ長くなったが、

ここから本題に入る。

 

甲子園大会は高校スポーツに留まらず、アマチュアスポーツ最大のイベントとなっている。

 

もうお分かりだろう。そう。

 

甲子園はダウンタウンにならないとあきまへんのどす。(なに弁か、わかりません)

 

これから子供の数が減っていくのは事実で。

そうなると、今まで通りにはいかなくなる。

 

今まで通りの公費、今まで通りの人数、

今まで通りの環境、今まで通りの規模、で

今まで通りの高校野球を続けるのは無理だ。

 

だって日本の子どもの数は減ってるんだから。

 

そこで何が問題になるかというと

"やりたいのに、できない状況"

になる事である。

 

野球って道具だけでも、めちゃくちゃお金がかかる。

 

一人の高校野球選手の1試合で使う道具の総額が30万円近くになったりする。

(グローブ、バット、スパイク、キャッチャー防具など)

 

もう、「歩く叶姉妹か!」って言いたくなる。(※この例えツッコミには100個くらい意味不明な点がありますが無視してください)

 

それに加え、設備費や運営費にも多くのお金がかかっている。

 

だからこそ、はじめにシワ寄せが来るであろう高校野球の"若手芸人"に収益を還元していくという仕組みを成り立たせ、アマチュアスポーツの産業化に着手していかなければならないと思う。

 

 

スポーツでお金儲けをするのは悪か。

 

スポーツ団体、ましてや教育機関である学校が"お金"の話をすると、多くの日本人は桜チップの入った燻製機にでも入れられたのかってくらい煙たい顔をする。

 

「子どもの汗を商売道具にするなんて最低だ」という言葉は、最もスポーツを美しく、神聖なモノにしているが、最もスポーツを苦しめ、卑賤なモノにしている。

 

教育にはお金が必要だし、

スポーツにもお金が必要である。

 

「モノ、カネ、ヒト、場所」が必要だ。

 

これを公費や税金で賄ってるとか、

無償ボランティアですって言うと

綺麗に聞こえるかもしれないんだけど

 

ここが日本のスポーツ界の一番の闇なんだよね。

 

補助金体質・ボランティア体質が道徳的善意として、強まれば強まるほど、スポーツ界を苦しめている。

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(※インターハイがかなり厳しいらしい)

インターハイが深刻な資金不足「夢をつぶさないようにしたい」 | ハフポスト

 

 

強豪校はダイレクト課金で自立を

 

だからもう強豪校はさっさと

オープンでクリアで純白な闇営業に

着手した方が良いと思う。

(正確にはダイレクト課金)

 

学校からの予算だけで運営するのではなく、

自立し、学校のブランドを上げて還元する形。

 

その理由は5つ

1.応援者が増える

2.ブランドができる

3.選ばれる努力をするようになる

4.取り組みがクリアになる

5.指導者が職業になる

 

文章の量が42.195kmを超えそうなので

 

5.「指導者が職業になる」

だけ説明させて。

 

スポーツには3つのリスクがある。

 

1.健康リスク 

練習や試合中のケガや事故のリスク

 

2.法的リスク 

部員や関係者の不祥事による責任のリスク

 

3.会計リスク

公費、OB会費、部費など何百万円を

預かるリスク

 

ドームジャーナルより引用

DOME JOURNAL vol.39

 

これらのリスクがあるのに、それを無償ボランティアで運営している日本の部活動ってのはある意味すごい事なんだ。

 

(改善点や改善策はもう既に引用記事に書いてあるので確認してください。)

 

このリスクを抱えているのにも関わらず、

そこにお金が支払われていない事だ。

 

"指導者の無料ボランティア化"

 

スポーツ界の全てがそこにある。

野球離れ、体罰、非科学的練習など

全ての根幹がそこにあるんだ。

 

それはなぜか。

 

スポーツで飯が食えない

 

これが全ての流れを止めている。

 

○好循環

①指導者にお金が払われる

②指導者が職業になる

③責任の所在が明らかになる

リスク管理ができる

⑤選手の環境が整えられる

⑥競技引退後、指導者を目指す選択肢がある

⑦指導者に必要な勉強をする

⑧レベルの高い指導がなされる

⑨指導者が選ばれる

また①へ

 

○悪循環

①指導者は無償ボランティア

②指導者は二足の草鞋(経済的支柱を別で持つ)

③責任の所在が不明確

リスク管理が不可能

⑤選手へのシワ寄せ

⑥競技引退後はトップ以外は野球以外の道へ

⑦指導者は野球大好きおじさんがする

⑧経験論での指導がなされる

⑨指導者はコネと運と情熱でなるもの

また①へ

 

このように問題の始発駅は

"スポーツに関わる人にお金が支払われていない"ってとこ。

 

そうなると"指導者になりたい"という

人材が、教師かトレーナーを目指す事になる。

 

これはおかしな話だ。

 

指導者になるなら、指導者に必要な勉強をすべきだし、勉強をしていない人が指導者になるのはおかしい。(教師やトレーナーの勉強は充分野球の指導者として必要だけれど)

 

そうなると、飯を食っていく方法はプロのトップ選手になる事でしかない。

 

なぜなら、引退してもチームが指導者にお金を払えなければ雇う事ができないし、選手は経済的支柱を他に持たなければならない。

 

だから、子どもも保護者も離れていく。

 

スポーツをしてても、

トッププロでしか食っていけないから。

 

指導者の質を高めるために、「ライセンス制を!」っていう声もあるけど、指導者が職業にならなければライセンスが意味をなさない。

 

だから、学校が指導者にしっかりとお金を払える環境を作り、部が経済的自立する、もしくは他からの支援を受けるのが理想の形だと思う。

 

この仕組みを作るチャンスは、

日本の高校野球には可能性がめちゃくちゃあると思う。

 

競技のクオリティを上げれば人が集まる。

部活は教育的意義があればそれで良い。

という考えだけでは、いずれ死んでしまう。

 

多くの人に届ける努力をしなければならないし、産業として野球界を運営していかなければならない。

 

現状はダウンタウンが文化祭で漫才やらされてるようなもんだ。

 

 

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あとがき

勘違いしてほしくないが、

僕は日本高校野球をリスペクトしている。

日本のアマチュアスポーツで、飛び抜けた集客と人気を誇る甲子園をここまで築いてきた方々にもリスペクトをしている。

 

しかし、日本の子どもの数は減っている。

これは事実だ。

 

そんな中で、高校野球をもっと良くしたい。

野球がしたい子供が、より良い環境でできるようにしたい。

 

その思いで綴った。

 

 

この「産業化」を1番遠くの旗として

実現させようというのが僕の野望だ。

2〜3年でどうにかなる話じゃない。

 

その為に、まずは自立型部活動のロールモデルを作りたい。

 

ルールや規則ではなく、文化とブランドで野球界を変えたい。カッコいいチームをつくりたい。

 

共感してくれる方がいれば連絡下さい。

僕は指導者として飯を食っていきたい。

 

今回のブログは野球離れという問題に対する

内輪の人間の思いです。

どうやら僕は野球が好きなのかもしれない。

 

 

 

 

 

菅野雅之