若人の考えていること。

思いのままに書いています。

高校野球に"お金"は必要ないのか。

 

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野球離れの本質

 

僕は野球をしていた。

そして今も野球に携わっている。

人生の多くは野球をしているか、

野球の事を考えている。

 

先日Twitterでこんなツイートを目にした。

 

どうやら、世の中では野球離れが進んでいるらしい。

 

正直に言う。僕はこれを見た時に"健全"だ。

と思った。

 

つまらないモノから人が離れていく。

必要のないモノから人が離れていく。

 

広い目で見れば、悪い事ではない。

 

それはとても"健全"だと思う。

 

サッカーをやりたい人がいても良いし、

バスケに没頭する人がいても良い。

運動をしない選択をする人がいる事も事実だ。

 

それを「野球は面白いので一緒にやりましょうよ!」と、やりたくない人に無理くりやらせるのは勘違いも甚だしい。

 

とても"不健全"だ。

 

まず、「〜離れが問題だ」と騒いでいるのは

その内輪の人間だけだ。

 

新聞離れ、テレビ離れ、ビール離れ、恋愛離れ、結婚離れ。

これらを問題視して騒いでいるのは、

新聞社だし、テレビを見ている人だし、恋愛して結婚してる人だ。

 

つまらないから離れる。

必要ないから離れる。

 

いずれも健全だ。

 

少子高齢化もそう。

 

決して少子高齢化が問題なんじゃない。

 

少子高齢化によって、ある一定の人へ何かしらのシワ寄せが出る事が問題だし、

それにより本来行使できるはずの権利が

行使できないのが"不健全"なのだ。

 

そう考えるとやはり"野球離れ"の本質は

野球に関わる人が減る事ではなく、

それによって野球をやりたい人が、

できなくなる事ではないだろうか。

 

私はこの観点から高校野球がしていくべき

"野球離れ"の対策を内輪の人間として提案する。

 

ロールモデル吉本興業

 

昨年世間を賑わせた吉本興業である事から

良くないイメージを持つ人もいるかも

しれないが、僕はこの吉本興業という

日本の芸能界を引っ張る企業を

参考にすべきだと思うし、

闇営業(ダイレクト課金)も将来的には

どんどん行っていった方が良いと思う。

(偉そうに問題発言をしている)

 

このまま補足説明を入れないと炎上案件なので全力疾走で説明する。

 

これはキングコングの西野さんが話してた内容なんだけど、(早速自分に降りかかったリスクを他人にぶん投げました。)

 

昨年の騒動が起きた際に、

若手芸人の人達の多くがSNS

吉本興業に対する不満をぶちまけたそう。

 

「ワンマンライブチケット完売して、

グッズも完売したのに、給料4,000円って

どないやねん!」みたいな。

 

でも、実はライブって会場満席にしてもほぼ赤字らしい。

 

これ、川谷絵音さんも言ってたんだけど、

アーティストがドームツアー満員にしても

収益はほぼ出ないらしい。

ファンサービスなんだって。

(二次的な経済効果はあるよ)

 

でも、若手芸人がなぜワンマンライブを

できるかと言うとダウンタウンさんなどの

超大御所がいるかららしい。

 

テレビなどでたまに耳にするけど

人気芸人の給料は?みたいな話題で

「吉本にほとんど持ってかれてるわー。」

みたいな話。

 

つまり、ダウンタウンさんや、MCや冠番組を持つような芸人さんの存在があるから、満員にしても赤字になってしまうライブができる訳なんだ。

 

って西野さんが言っていた。

吉本興業の騒動から学ぶ「お金」の話(2019年10月21日放送)/ Voicy - 今日を彩るボイスメディア

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前置きがだいぶ長くなったが、

ここから本題に入る。

 

甲子園大会は高校スポーツに留まらず、アマチュアスポーツ最大のイベントとなっている。

 

もうお分かりだろう。そう。

 

甲子園はダウンタウンにならないとあきまへんのどす。(なに弁か、わかりません)

 

これから子供の数が減っていくのは事実で。

そうなると、今まで通りにはいかなくなる。

 

今まで通りの公費、今まで通りの人数、

今まで通りの環境、今まで通りの規模、で

今まで通りの高校野球を続けるのは無理だ。

 

だって日本の子どもの数は減ってるんだから。

 

そこで何が問題になるかというと

"やりたいのに、できない状況"

になる事である。

 

野球って道具だけでも、めちゃくちゃお金がかかる。

 

一人の高校野球選手の1試合で使う道具の総額が30万円近くになったりする。

(グローブ、バット、スパイク、キャッチャー防具など)

 

もう、「歩く叶姉妹か!」って言いたくなる。(※この例えツッコミには100個くらい意味不明な点がありますが無視してください)

 

それに加え、設備費や運営費にも多くのお金がかかっている。

 

だからこそ、はじめにシワ寄せが来るであろう高校野球の"若手芸人"に収益を還元していくという仕組みを成り立たせ、アマチュアスポーツの産業化に着手していかなければならないと思う。

 

 

スポーツでお金儲けをするのは悪か。

 

スポーツ団体、ましてや教育機関である学校が"お金"の話をすると、多くの日本人は桜チップの入った燻製機にでも入れられたのかってくらい煙たい顔をする。

 

「子どもの汗を商売道具にするなんて最低だ」という言葉は、最もスポーツを美しく、神聖なモノにしているが、最もスポーツを苦しめ、卑賤なモノにしている。

 

教育にはお金が必要だし、

スポーツにもお金が必要である。

 

「モノ、カネ、ヒト、場所」が必要だ。

 

これを公費や税金で賄ってるとか、

無償ボランティアですって言うと

綺麗に聞こえるかもしれないんだけど

 

ここが日本のスポーツ界の一番の闇なんだよね。

 

補助金体質・ボランティア体質が道徳的善意として、強まれば強まるほど、スポーツ界を苦しめている。

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(※インターハイがかなり厳しいらしい)

インターハイが深刻な資金不足「夢をつぶさないようにしたい」 | ハフポスト

 

 

強豪校はダイレクト課金で自立を

 

だからもう強豪校はさっさと

オープンでクリアで純白な闇営業に

着手した方が良いと思う。

(正確にはダイレクト課金)

 

学校からの予算だけで運営するのではなく、

自立し、学校のブランドを上げて還元する形。

 

その理由は5つ

1.応援者が増える

2.ブランドができる

3.選ばれる努力をするようになる

4.取り組みがクリアになる

5.指導者が職業になる

 

文章の量が42.195kmを超えそうなので

 

5.「指導者が職業になる」

だけ説明させて。

 

スポーツには3つのリスクがある。

 

1.健康リスク 

練習や試合中のケガや事故のリスク

 

2.法的リスク 

部員や関係者の不祥事による責任のリスク

 

3.会計リスク

公費、OB会費、部費など何百万円を

預かるリスク

 

ドームジャーナルより引用

DOME JOURNAL vol.39

 

これらのリスクがあるのに、それを無償ボランティアで運営している日本の部活動ってのはある意味すごい事なんだ。

 

(改善点や改善策はもう既に引用記事に書いてあるので確認してください。)

 

このリスクを抱えているのにも関わらず、

そこにお金が支払われていない事だ。

 

"指導者の無料ボランティア化"

 

スポーツ界の全てがそこにある。

野球離れ、体罰、非科学的練習など

全ての根幹がそこにあるんだ。

 

それはなぜか。

 

スポーツで飯が食えない

 

これが全ての流れを止めている。

 

○好循環

①指導者にお金が払われる

②指導者が職業になる

③責任の所在が明らかになる

リスク管理ができる

⑤選手の環境が整えられる

⑥競技引退後、指導者を目指す選択肢がある

⑦指導者に必要な勉強をする

⑧レベルの高い指導がなされる

⑨指導者が選ばれる

また①へ

 

○悪循環

①指導者は無償ボランティア

②指導者は二足の草鞋(経済的支柱を別で持つ)

③責任の所在が不明確

リスク管理が不可能

⑤選手へのシワ寄せ

⑥競技引退後はトップ以外は野球以外の道へ

⑦指導者は野球大好きおじさんがする

⑧経験論での指導がなされる

⑨指導者はコネと運と情熱でなるもの

また①へ

 

このように問題の始発駅は

"スポーツに関わる人にお金が支払われていない"ってとこ。

 

そうなると"指導者になりたい"という

人材が、教師かトレーナーを目指す事になる。

 

これはおかしな話だ。

 

指導者になるなら、指導者に必要な勉強をすべきだし、勉強をしていない人が指導者になるのはおかしい。(教師やトレーナーの勉強は充分野球の指導者として必要だけれど)

 

そうなると、飯を食っていく方法はプロのトップ選手になる事でしかない。

 

なぜなら、引退してもチームが指導者にお金を払えなければ雇う事ができないし、選手は経済的支柱を他に持たなければならない。

 

だから、子どもも保護者も離れていく。

 

スポーツをしてても、

トッププロでしか食っていけないから。

 

指導者の質を高めるために、「ライセンス制を!」っていう声もあるけど、指導者が職業にならなければライセンスが意味をなさない。

 

だから、学校が指導者にしっかりとお金を払える環境を作り、部が経済的自立する、もしくは他からの支援を受けるのが理想の形だと思う。

 

この仕組みを作るチャンスは、

日本の高校野球には可能性がめちゃくちゃあると思う。

 

競技のクオリティを上げれば人が集まる。

部活は教育的意義があればそれで良い。

という考えだけでは、いずれ死んでしまう。

 

多くの人に届ける努力をしなければならないし、産業として野球界を運営していかなければならない。

 

現状はダウンタウンが文化祭で漫才やらされてるようなもんだ。

 

 

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あとがき

勘違いしてほしくないが、

僕は日本高校野球をリスペクトしている。

日本のアマチュアスポーツで、飛び抜けた集客と人気を誇る甲子園をここまで築いてきた方々にもリスペクトをしている。

 

しかし、日本の子どもの数は減っている。

これは事実だ。

 

そんな中で、高校野球をもっと良くしたい。

野球がしたい子供が、より良い環境でできるようにしたい。

 

その思いで綴った。

 

 

この「産業化」を1番遠くの旗として

実現させようというのが僕の野望だ。

2〜3年でどうにかなる話じゃない。

 

その為に、まずは自立型部活動のロールモデルを作りたい。

 

ルールや規則ではなく、文化とブランドで野球界を変えたい。カッコいいチームをつくりたい。

 

共感してくれる方がいれば連絡下さい。

僕は指導者として飯を食っていきたい。

 

今回のブログは野球離れという問題に対する

内輪の人間の思いです。

どうやら僕は野球が好きなのかもしれない。

 

 

 

 

 

菅野雅之

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネガティブと生きる

「感情を感情で終わらせない」これは2019年のテーマであった。

 

"我々は自分が語れること以上にずっと多くのことを知っている。"

 

だからこそ自らの感情と向き合い、言語化することを自らに課した。

 

こうして振り返ると、2019年はネガティブな感情と付き合う時間がなんだか多かった。正直に言うと結構しんどかった。

 

ネガティブとは、「陰と陽」で言えば「陰」の方を指し、「明と暗」で言えば「暗」の方を指す。

 

ネガティブな感情とは、

悲しみ、苦しみ、怒り、悔しさ、恥ずかしさ、困惑、孤独、不甲斐なさ、もどかしさ、歯痒さ、罪悪感、嫌悪、などのこと。

 

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そんな感情と向き合うことで、

少しずつ大人になっている24歳の僕は

「知る事で不幸になる事実」

に気がついた。

 

逆を言えば、知らない方が幸せでいられる事があるということを。

 

 

どういうことかと言うと、

例えば、ニュースを見なければ心を痛める機会は少なくなるかもしれないでしょ。

 

目を背けたくなるような事件や事故。

貧困や差別。社会問題。

 

知らなければ、ネガティブな感情を抱くことも無いのかもしれない。

 

僕の日常であってもそう。

 

うさぎ跳びが身体に良い影響を与えないことに加えて、怪我のリスクが高い事が科学的に分かっている事を知らなければ、うさぎ跳びをさせられている中学生を目にしてむず痒い思いはせずに済む。

 

そして「頑張れ!」と純な気持ちで言えると思う。

 

 

大好きなあの子にフラれた理由を自分へは向けずに、いつまでも相手や環境のせいにしていれば被害者意識だけを持っていれば自尊心は傷つけられずに済むだろう。

 

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多くを知れば、もしくは知ろうとすれば、ネガティブな感情との付き合いは避けられない。

 

これが大人になるということであり、

成長するということなのかもしれない。

 

悲しみ、苦しみ、怒り、悔しさ、恥ずかしさ、困惑、孤独、不甲斐なさ、もどかしさ、歯痒さ、罪悪感、嫌悪など。これらは総じて心地よいモノではない。むしろ痛みを伴う。

 

もしネガティブな感情と付き合うことなく、

一生ネバーランドで生きることが

できたとして

 

それでも僕はネガティブな感情と付き合って生きていこうと思う。

 

なぜならそれが生きるということであり、

自分を作るモノであるからだ。

 

何かを知ることで、感情や思考がネガティブ方向へ動く大きさや、頻度が増すかもしれない。それで良い。

 

例え、その分だけポジティブ方向への振り幅が増えることが約束されていなくても。それでも良い。

 

知ることによる痛みは、他者や社会との関わりによって生じるものである。

 

ニュースや教育や恋愛も。

 

しかし、逆に言えば自分自身に関しては豊かにしてくれる。

 

生きるという、自分自身が下す日々の決断に関しては豊かなモノにしてくれるだろう。

 

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できることなら、毎日をポジティブに生きたいと願う。

 

ネガティブな感情など無いモノとしていたい。

 

いつでもネガティブな感情は悪者にされる。

 

しかし、そんな誰からも好かれないネガティブな感情は感情で終わらせてはならないのかもしれない。

 

ネガティブは、

人間にとってネイティブ。

違和感は可能性。

 

2020年。そう生きていきたい。

 

 

 

 

 

菅野雅之

 

 

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恋の原材料

クリスマスというイベントは、人々に幸福感を与えるのか、劣等感を感じさせるのか、どっちなんだい?とオレのきんに君に、聞いている菅野です。

 

今回は、「恋愛」について菅野ごときが書いてきたいと思う。

 

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みなさんは恋愛と聞いて、どのようなキーワードを思い浮かべるだろうか?

 

僕は恋愛と聞いて真っ先にイメージするのは

"西野カナ"さんである。(こう見えて意外と乙女なのかもしれない)

 

つまり、

恋愛とは運命的で偶然的で不随意的なモノ

だと思っていた。

 

しかしだ。僕は気づいてしまったのだ。

 

恋愛ってそんなに西野カナっぽくない。

ってことに。

 

恋愛とは何で、できているのか?

 

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恋愛の原材料は3つあると思う。

 

【①感情】

一つは先ほど菅野がイメージしたような

西野カナ的なモノ。

 

キュンキュンするとか、ビビッときたとか、好きな理由は答えられないっていうような、運命的で偶然的で不随意的なモノ。

 

【②欲求】

この前、こんなツイートを目にした。

 

「男は"SEXをしたいという欲求"と"この人が好きという感情"を勘違いする生き物だ」と。

 

そういえばだいぶ前に島田紳助さんと松本人志さんも同じような事を言っていた。

 

本当にその人の事が好きかどうか分かるのは性欲が最も低下するあのタイミングだと。

 

しかし、僕は性欲も立派な恋愛の原材料だと思うし、これが悪い訳ではないと思う。

 

なぜなら僕たちは、子孫を残す事でここまで進化し、生き残ってきたホモサピエンスだからだ。

 

他の生き物で考えると分かりやすいかもしれないね。

 

浮気や不倫がパートナーに大きな精神的ダメージを与えるのは、恋愛の原材料の1つである性欲が、他人に向いた事を知るからでもあると思う。

 

他にも「この人に認められたい」や「この人とお付き合いしたらみんなから認めてもらえる」という承認欲求もある。

 

【③思考】

俗に言う好きなタイプとか、ハードルが高いとか、ストライクゾーンがどうとかって部分。

 

ここが一番おもしろいところで、

"人は無意識的思考のなかで、この人を好きになろうとして好きになっている"ってとこ。

 

ある程度自分のハードルを超えてきたり、ストライクゾーンに来た時に、人は無意識的に好きになろうとしているのだと思う。

 

好きになろうとして、好きになっているのだ。

 

こんな事を言うと、お前はロマンチストじゃないとか、冷たいヤツだとか、理屈っぽいとかって言われるかもしれないが、ほとんどの人の恋愛の原材料の多くはこの【③思考】であると気づいてしまった。

 

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一目惚れなんかが、まさにそうで。

自分のストライクゾーンだと思った瞬間、

それ以外の不確定要素を、自らの都合の良いストライクゾーンの形に当てはめた虚像を作りあげて、好きになっている。

 

back numberの「高嶺の花子さん」でも

「好きなアイスの味はきっと。。。」

という歌詞がある。

 

まさに作りあげている。

 

遠距離恋愛もそうだと思う。

①は長期的に見て長続きしないだろうし、

②なんかは顕著で、身体的な接触が無い。

それでも遠距離恋愛が成り立つのは思考が大きいと思う。

 

紫式部源氏物語のような時代に、

「あの家の者を好きになってはなりませぬ。

しかし、忘れられないのです。でも、決してなりませぬ。。。」

 

みたいなのが僕の勝手なイメージであるんだけど、これなんか「一目惚れ✖️遠距離恋愛」だと思う。

 

「会った回数」と「その人をどれくらい好きか」が相関関係に無いのはそのためだろう。

 

 

※出逢いに関しては運命だと思うけど。

 

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まとめ

もちろん、このいずれかで恋愛をしているという訳ではなく、この3つが互いに関わり合って成り立っている事は間違い無いだろう。

 

しかし、僕は

思考を感情が追い越すことが恋愛の全てだと思っていた。しかし、それはどうやら多くはないみたいだ。

 

多くの場合は、感情を思考が追い越すことで成り立っていて、逆に思考により恋愛を抑制しているケースもある。

 

人間はこれを、無意識的にやっているのだから魔法のように錯覚するのだろう。

 

他人の恋愛相談にのると

「頭で考えてばっかりいないで、

自分の感情に任せて恋愛すれば良いのに。」

 

なんて思ってしまうが、それも恋愛だと言う事である。

 

(ここまで読んで下さったみなさんの思いを代弁します。「お前誰だ。」笑)

 

 

 

 

 

菅野雅之

 

 

 

菅野雅之が東北高校を選んだ理由

先日ダルビッシュ有選手がYouTubeで、

東北高校を選んだ理由をアップしていた。

 

東北高校といえば

ダルビッシュ有宮里藍羽生結弦、菅野雅之ですので、

 

菅野雅之としてはこんなにおいしいネタはないのでそれに便乗することにした。

 

さぁ。本題に入るが、

ダルビッシュ選手は50〜60校の誘いの中から、

最終的に東北高校を選んだそうだ。

 

一方で菅野雅之に声をかけた学校は0であった。(この事は内緒にしておいてほしい)

 

ただ、そんな2人にも共通点はある。

それは「野球」を基準に選んだという点である。(誘いが0でもな)

 

恥ずかしがながら勉強や学業などの判断基準はまるで持ち合わせていなかったため、現在はこのざまである。(誘いが0でもな)

 

菅野雅之が仙台育英でもなく、青森山田でも、横浜高校でも、智弁和歌山でもなく、

東北高校を選んだ理由は、

極論「カッコよかったから」である。

(実は誘いが0の方が選ぶのは難しいんだぞ。)

 

つまるところその組織のブランドだ。

東北高校というブランドに魅力を感じたのだ。

 

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東北高校のブランドを言語にすると

【甲子園の常連、ダルビッシュ選手、縦縞のユニフォーム、オレンジの校章、県外選手多数、寮生活、ダボダボのユニフォーム、ヤンチャ気質の選手、厳しい練習】などだ。

 

同じ宮城県内で現在、

実力的に東北高校より抜けた存在になっている仙台育英にもブランドがあるが、当時の菅野雅之は東北高校のブランドに魅力を感じた。

 

むしろ、それ以外に理由はない。

 

一方で、ダルビッシュ選手が、東北高校を選んだ理由の一つとして「若生監督」の存在があったとYouTubeで述べていた。

 

それ以外にも理由はあったそうだが、

「誰から学ぶか」が選択の基準として大きかったのだろう。

 

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この2つを整理していくと面白い。

 

菅野雅之は「誰から教わるか」を判断材料としなかった。

 

現に、ダルビッシュ投手が卒業すると同時に若生監督は九州国際大附属へ異動し、私が入学するまでの間は五十嵐先生が監督をしていたり、我妻先生が監督をしていたりした。

 

正直な話、どちらが監督であれ僕は東北高校で野球がしたかったのだ。

 

つまり、「誰から学ぶか」よりも「どこで学ぶか」の方が判断基準として大きかった訳だ。

 

それがなぜかというと、

「どうせ、キツい練習をするのなら東北高校でしたい。」があった。

 

ここ、大事だよ!

「どこの学校でやろうが練習内容なんて大して違わない。だから練習量が多くて、キツいところでやる。」というふうに中学時代の菅野雅之少年は語っている。(タイムスリップしてインタビューしました)

 

要するに、コモディティ化してたってこと。

 

コモディティ化とは差別化が図れていない状態のこと。要するにどこも似たり寄ったりってことです。

 

どこの学校でもトレーニングは走り込みだし、アップも動きが揃えて大きな声で、

連続ティーでスイングスピードを上げる。

ってやってたと認識してる。

 

だとしたらブランドだよね?ってこと。

 

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さぁ。ここからもっと踏み込むよ。

 

時代は振り子のように揺れる。

 

令和になった現代も、どの学校でも

昭和の冷凍保存的な取り組みをしている

学校は多い。

 

しかし、少しずつではあるがスポーツサイエンスをもとに旧来の練習から脱しているチームが出てきている。

 

今後、スポーツサイエンスの研究が進み、情報化社会はそれに拍車をかけていくだろう。

 

ダルビッシュ選手がどのようなトレーニングをして、どのように変化球を投げているのかは誰でも手にする事ができる時代となった。

 

そうなると、またコモディティ化が進む。

正確に言えば今度来るのは

「正解のコモディティ化であろう。

 

5年でそうなるとは思えないが、

なんとなく10年くらいすれば

正解のコモディティ化の過渡期を

迎えるだろう。

 

そこでまた、時代の振り子は揺れ戻り

ブランドに価値が出るだろう。

 

整理をすると、ここ5年〜10年の間は

"取り組み"にフォーカスが当たるから

「誰から教わるか」の時代になる。

 

だから、取り組みを発信していくことは有効だと思う。

 

そして"取り組み"が、

またコモディティ化したら

ブランドの時代に入ると思う。

 

ブランドを作るなんてのは、

生半可なものではないけど、

それを予期してチームを作っていかなければ

少子高齢化働き方改革、部活動改革が進む未来で生き残るのは厳しいだろう。

 

今世紀最大の机上の空論を書いていることに

気がついてしまったので、

これは予想図ではなく、構想図として自らが実行することをここに誓い終わりとします。

 

 

 

菅野雅之

 

 

総合力という不定形な力

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今回は、"総合力が高い"に少しモヤっとしたので今後の自分と照らし合わせながら書いてみました。

 

①学びのモチベーション

 

学びのモチベーションは3つあると思っていて

 

❶【遠未来型】

1つは将来どこかで使うから勉強しておきなさいと言うモチベーション。

 

これは小中学生などの大半がそうで、

ご存知の通り1番モチベーションが低い。

 

❷【近未来型】

2つ目は〜なりたいから勉強するというモチベーション。

 

経営者になりたいから経営の勉強をする。

料理人になりたいから料理の勉強をする。

トレーナーになりたいから筋肉の勉強をする。

 

これは❶よりはモチベーションが高い。

 

❸【現在進行型】

3つ目は"今"必要だから勉強する。だ。

 

要するに、自分の身長よりも深いプールに放り投げられて、泳がないと死ぬ。というやつだ。

 

犬は誰から泳ぎを教わった訳でもないのに、

泳げるようになる。

 

もはやこれをモチベーションと呼んでいいのかわからないが、エネルギーとしては1番大きい。

 

即効性のある勉強は強いのだ。

 

だから学生に対して発表授業やレポート提出を求めるのは意外と効率的かもしれない。

 

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②何を、どう学ぶか。

 

んでだ。

 

次は、何を、どう学ぶか。である。

 

例えば、さっきの話でいうと

「料理人になりたいから料理の勉強をする」は

浅い。浅すぎる。

 

もうプールだと思って飛び込んだら水たまりで怪我しちゃうレベルで浅い。

(無視してください。)

 

料理人と一言で言っても様々な料理がある。

和食なのか、フレンチなのか、イタリアンなのか、はたまたタピオカなのか。

 

さらに、それによって調理師免許を持っていたほうが物事を優位に運べる場合と、そうとも言えない場合がある。

 

もしかしたら免許なんか必要なくて、イタリアで修行したり、寿司屋で修行したりした方が良い場合だってある。

 

もっと言うと寿司屋で修行する必要すらなく、YouTubeで寿司の作り方を勉強したり、店を開いちゃった方が良い場合だってある。

 

要するに、一言で料理人になりたいといってもそれぞれの専門分野によって必要なモノは違っていて、その手段も様々である。

 

んで、これを言いたかったのだが、

"イタリアンのシェフを志す者にとって、

寿司屋で修行することは、ベストなのか?"

ということである。

 

「無駄なことなんてない。」「寿司屋で働いた経験がイタリアンの場で活きた。」なんてのはよく聞きそうな話だが、

 

これは後付けであって、

イタリアンのシェフに本気でなりたいと志している人にとって、1番の環境はイタリアンレストランの現場である。当たり前だ。

 

それを寿司屋で修行したり、和食の勉強をするのは、「無駄じゃないよ。」「今後に活きるよ。」はどうも見当違いではないだろうか。

 

これが、どの分野かは決まっていないけれど、料理を仕事にしたいと言う人にとっては良い経験になるが。

 

志ある者ならば、とことんその専門性を高めるべきだと思う。

 

❶「志なき者の学びの専門性はリスクだが、

志ある者の学びの専門性はマストである」

 

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③専門性を磨くことによって総合力は低下するのか。

 

しかし、スポーツ指導者に必要なのは

どうやら"総合力"らしい。

 

これは、ドームアスリートハウスのウェブサイトから引っ張ってきた文だが、そこにはこう書かれている。

 

チーム内でのサポート環境が整っていない日本では、チームをサポートするために「総合力」が求められるケースが多くあります。

コンセプト | DAHエデュケーション | DAH(ドームアスリートハウス)

 

その通りだよね。

例えばトップチームでは、

チームドクター、理学療法士、アスレチックトレーナー、ストレングスコーチ、柔道整復師、管理栄養士、監督、打撃コーチ、投手コーチ、守備走塁コーチ、スコアラーなど

様々なサポートスタッフがいる。

 

しかし部活動ではどうだろうか。

 

公立の学校なんかだと、

監督とコーチ数名だ。

 

となると"総合力"が必要な訳で、

上記の話にも納得できる。

 

しかしね。

僕はどうも、この"総合力"ってのが胡散臭く感じる。

 

なんか、「これといった専門性は無いので、総合力で勝負します。」ってダサいんだよね。

 

もう努力の仕様がない状況(試合前とか)ならそうなるんだけど、それを日常で正当化するのには違和感を感じる。

 

目指すのは、間違いなく"総合力"の高い指導者なんだけど。

 

例えばね。

サッカー選手が膝を怪我したとする。

その時、診てもらいたいのは

「スポーツ整形外科の専門医」か「総合病院のドクター」どちらだろうか。

 

僕は、間違いなく前者だ。

 

ステーキ専門店とステーキandメキシカンフード店が2つ並んでいて、その日はステーキが食べたい。

 

その時にステーキ専門店に入ってしまうのは人類共通だと思う。

 

これを

❶【大切な買い物はドンキホーテで買わない理論】とする。

 

しかし、いつも通っている寿司屋の大将が

「実は私ラーメン屋で働いてたことがあって、今日ラーメン作ってみたんですけど。」

 

となると食べてみたいと思わないだろうか。

 

いうも通っている美容室で、担当の人が「実は私、ネイルもできるんですよ。」となれば、お願いしたい!と思わないだろうか。

 

これは❷【裏メニュー理論】である。

 

この

「大切なものはドンキホーテで買わない理論」と「裏メニュー理論」の決定的な違いは

「高い専門性」を持っているか否かである。

 

だから、広く浅い総合力では胡散臭くなっちゃうってこと。

 

"裏"メニューが魅力的になるのは、"表"がしっかりしてるって事が条件だよね。

 

若い、菅野雅之がすべきこと

 

では、若い菅野雅之は何をしなきゃならないかというと

 

①-❸【現在進行型】の学び

②-❶「志なき者の学びの専門性はリスクだが、

志ある者の学びの専門性はマストである」

③-❷【裏メニュー理論】

 

であるから、まとめると

 

『"今"必要だと思ったことで、

               尖った専門性を作る』

 

ことかなと。思っています。

 

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というわけで10月の末から年末までの期間

日曜日は野球部の活動をお休みして

 

DOME ATHLETE HOUSE に勉強をしに

通うことにしました。

概要・目的 | DAH(ドームアスリートハウス)

 

 

今の時代、勉強の手段って色々あるとは思うんだけど「現場に行って、直接、勉強する」手段を選びました。

 

なんとなく悪い意味で慣れてきてしまったので。

 

それを、現場でアウトプットできたらと思っています。

 

 

 

菅野雅之

オレ「青い」。

 

オレ「青い」。

 

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最近、自分をずっと遠くから見ている感覚に陥ることがある。

 

キレイに言えば、客観視できているのかもしれない。

 

とても不思議な感覚だ。

 

 

どこかで、他の24歳よりも、

大人びているという

「根拠のない自信」「つまらないプライド」がある。

 

そんな自分を客観視して虚しくなる。

 

まだまだ"青い"なと。

 

そんな葛藤を綴る。

 

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私は現在24歳。

 

世間からすれば"まだ24歳"

私もそう思う。"まだ24歳"

 

何にもできやしない。

お前の経験なんてたいしたことない。

人生これからだ。

 

客観視している自分と、世論の意見は同じだ。

 

しかし今を生きている自分は違う。

 

俺は、何でもできると思っている。

オレが1番だと思っている。

 

根拠はない。

 

おそらく「燃え尽きるまで燃えた経験」

若さ故の「責任」がないからだろう。

 

そんな青二才は、他人の言うことになど耳を傾ける余裕もなく「うるせーバカ」としか思わない。

 

他人に何かを与える余裕など、まるでない。

 

自転車のハンドルから手を離しては「危ない」と親や先生から注意をされても、

それでも手を離してみないと気が済まない。

転んでからじゃないとわからない。

 

それが青さ。

 

早く手を離して運転したいと思っている。

それが自覚している青さ。

 

一方で、早く転びたいと思っている。

それがちょっとだけ大人びた自分。

 

 

なぜか、「明日死ぬかもしれない」と

毎日のように思う。

どこか生き急いでいる。

死ぬのが怖い。

 

これもちょっとだけ大人びた自分。

 

でも、早く成り上がりたくて。

早く何者かになりたくて。

おそらくこれ、まだまだ青いのだろう。

 

 

"大人"になった自分はこれを読んで何を思うだろうか。と思い。書いてみた。

 

 

 

24歳の菅野雅之。

 

指導者2.0

 

指導者2.0

 

世間では“時代遅れ”と揶揄される高校野球であるが、僕は転換期に突入していると感じる。

 

というのも、数年前まで球数制限などという

言葉すらなく、延長引き分け再試合で力投する投手に誰もが拍手を送っていた。

 

しかし近年ではタイブレーク制が導入されたり、投手の球数制限が議論されたりと、長い目で見れば1つの転換期を迎えているように思える。

 

そんな中、指導者の形も転換期を迎えているのではないかと僕は思っている。

 

それが「指導者2.0」だ。

 

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インターネットが作った現代

 

前回のブログで、情報について書いた。

 

"情報"は売れない。 - 若人の考えていること。

 

この"情報"が転換の要因であり

トラブルの原因である。

 

高校野球に携わり、多くのチーム、指導者、選手を目にするが、

どうも"情報格差"が拡大しているように感じる。

 

今からめちゃめちゃ重要な事を言うが

 

ひと昔前までの、

情報飢餓時代は「情報をいかにして集めるか」が重要であった。

 

つまり

"指導者の方が情報を持っている時代"だった。

 

正解の方向性も曖昧だったため

"オレの言うことが正解だ"と言い切れる

良く言えば、リーダーシップのある。

悪く言えば、独裁的なワンマン指導者が

時代にマッチしていた。

 

 

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ところが

情報飽和時代に入り

「情報をいかにして厳選するか」

重要になってきていて

 

"選手の方が情報を持っている時代"になろうとしている。

 

そんな選手に

アップデートされていない

クオリティの低い情報で縛って

「オレの時代はこうだった。

オレはこうやって上手くなった。」と

指導してしまうとトラブルが発生する。

 

なぜなら

現在は、"正解の方向性"は見えはじめていて、

選手の方が情報を持っているからである。

 

例えるなら、

張本さんが監督をしている

チームの選手全員が、ダルビッシュ選手の

Twitterをフォローしていれば間違いなく

選手から監督に「喝!」がはいり、

ボイコットが起こるということだ。

 

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ただ、この事を理解していてか

(理解している訳がない)

未だに、スマートホンの使用を制限したり、

SNSを禁止にしている野球部は多い。

 

更に学校教育の弊害も相まってか

高校生の本人達も

SNSやインターネットは危険だと認識して

おり、消極的な生徒も多いのが現状である。

 

しかし、このタガが外れた途端に

全国各地の旧来指導者への反乱が起こることは

予想できる。

 

 

指導者はダルビッシュになれ。

 

そんな現代の課題は

"検索の難易度が上がる"という事だ。

 

Googleで、情報を集めようとしたとき

検索ワードは、なんと入力するだろうか。

 

「野球  投げ方」「野球 トレーニング」

だろうか。

 

これでは無数に出てくる情報の中で

どの情報が正しく、

信用できるのかは分からない。

 

以前も、ブログに書いたが

"信用できる情報とは、

信頼している人がピックしている情報"

である。

 

つまり指導者はダルビッシュ選手になった方が良いということである。

 

これはなにも、メジャーリーガーであれ。

ということではなくて

 

「信用と知識と経験をいかして、

                           情報を厳選し、発信する。」

 

という事である。

 

これが指導者2.0だ。

 

日本高校野球界に"コーチング"

という言葉が飛び交わないわけ。

 

日本スポーツのコーチングスキルは、

かなり低いという事は度々言われている。

しかし、それ以前に"情報弱者"がすぎる。

 

正解の方向性は、すでに見えはじめているのにもかかわらずどのチームもやっていることがバラバラだ。

 

片や、データやスポーツサイエンスを現場に落とし込むチームもあれば、

片や、選手に走り込みだ、投げ込み、振り込みだと未だにそんなことを言う指導者もいる。

 

右も左も全く違う事をしている。

 

それを

「正解なんてないから、色んな指導の仕方があっていいんじゃないか。」と言う。

 

どう考えてもおかしい。

そんな業界がどこにあるんだ。

時代錯誤も甚だしい。

 

こんなに正解の方向性が全く統一されていない業界も珍しいのではないだろうか。

 

スポーツサイエンスが現場に落とし込めている国や地域では"正解の方向性"は周知されているため、どのチームも練習の方向性は大きく変わらないだろう。

 

だからこそ"コーチング"に差が出るのだ。

 

まとめ

 

情報飢餓時代の

独裁ワンマン指導型から

 

情報飽和時代の

フォロワーシップ型へ。

 

時代は変わってきている。

選手と指導者の関係性も変わってきている。

 

"年齢" "地位" "経験"を武器に指図する

指導者ではなく、

 

大事なのは"信頼"である。

 

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➖「指導者2.0」➖

 

菅野雅之