アスリートと言語
[体育会系が好き]
なぜだろう。
僕はアスリートが好きだ。
スポーツをしている人、スポーツをしていた人に魅力を感じる。
そしてそれはなぜか、嗅覚的なもので分かってしまう。
例えそれに言語での説明が付け加えられたとしても、魅力的に感じていたものが、ひっくり返る事はない。
「僕、学生の頃は野球をやってたんですよ。」と言われても、どれくらい本気でやっていたかは、やっぱり嗅覚で分かってしまう。(超個人的主観でしかないんだけど)
僕が幼い頃からスポーツをしていたからなのか、今もスポーツに関わっているからなのか。
それも要因の一つではあると思うんだけど、どうもそれだけでは無いような気がしてならない。
今回はそれを言語化していく。
[能力総動員体験]
この前、RIZINの特集番組を見てたんだよね。これがさ、痺れるんだよ。
格闘技なんかはさ、特にそうなんだけど
「やるか、やられるか」の世界なんだよね。
ケガなんてのは当たり前で、下手するとリングの上で命を落とすリスクだってある。
しかも、あの人達はそれで飯食ってんだよ。
普通じゃないよね。
試合前は、恐怖と不安に怯えて、緊張で足が震える。
北岡悟選手の入場なんか見れば分かるけど、完全にハイになって、もうイッちゃってるんだよね。
勝てば、喜びと興奮で体が痺れる。
負ければ、悔しさと情けなさで、大人が本気で泣くんだ。
こんなのって日常を普通に生きてれば経験できるもんじゃない。
"知力"と"精神"と"体力"を総動員して、人生を懸けて戦う。
その人の人生の中で"1番強ぇ今"がぶつかるんだよね。
GO三浦さんが言ってたけど
"人間が能力総動員する瞬間に人は感動する"って。
その"能力総動員"した経験の有無ってのは、
人を豊かにするのかもしれない。
そしてそれは"分かる"のかもしれない。
GOの全体研修合宿に来ている。社員全員にそれぞれのライフストーリーを語ってもらってて面白いんだけど、なんとなく共通点があったよ。
— 三浦崇宏 GO (@TAKAHIRO3IURA) 2020年2月2日
・部活が全国レベル。
・人生で一度死にかけている。
・家庭がたいへん。
皆どれかにあてはまってる。いよいよ現代の海賊みたいになってきたけど、いい会社です。 pic.twitter.com/znpB0Lrhdo
[共同身体性と共通感覚]
そう"分かる"んだよね。
言語を介さずとも。
この言語を超えたもので通じ合う共同身体性。これがスポーツをしていた人の魅力だ。
この前、宮台真司さんが言っていたけど
「共同身体性の欠如は人間をクズにする」って。
これは野外学習であったり、スポーツであったり、セックスであったり。
これらの共同身体性と共通感覚をどれだけ体感できるかが人の魅力を引き立てるんだと思う。
なぜなら僕らは、"自分が語れること以上にずっと多くのことを知っている"からね。
だからアスリートの言葉は魅力的なんだよね。
だから青木真也選手の言葉は美しいんだ。
だから本田圭佑選手の言葉は強いんだ。
だからイチロー 選手の言葉に前のめりになって、かじりつくんだよ。
だからあの瞬間に感じた、感情や、体の震え、体の痺れ、汗や涙の温度。それらを知りたくて、聞きたくて"インタビュー"するんだ。
だから青木真也の
「35歳になって好きな事やって、家庭壊して1人ぼっちで格闘技やって、どうだお前ら羨ましいだろ」という言葉に震えるんだ。
だから北岡悟の
「明日からまた生きるぞ」に背中を押される。
この"言語"以外のモノで繋がり、感じ合う共同身体性と共通感覚。だからこそ"言葉"が磨かれる。
格闘技でも、球技でも、相手とも、味方とも、なにかを感じ合っている。そしてそれはお互い一致しているかは不確かではあるけれど、間違いなく共通している。
[スポーツの価値]
スポーツの価値を問われた時に、
チームワークとか、思いやりとか、感謝の気持ちとか、礼儀挨拶とか言う人が多いんだけど、どうも僕はしっくりこない。
そんな薄っぺらいモノじゃないと思うんだ。
足を震わせ、我を忘れるほどに熱狂する"能力総動員体験"
言葉以上のモノで相手と仲間と繋がる"共同身体性と共通感覚"
これがスポーツの価値であり、魅力だと思う。
これらの経験が人を魅力的にさせるのだと思う。
勝利至上主義に教育的意義はあるのか?と偉そうに言ってる人がいる。
確かに勝利至上主義だけでは教育的意義は無いのかもしれない。
しかし、"勝利"を捨てたスポーツにもまた、教育的意義は無いのでないだろうか。
あなたは能力総動員した経験はあるか?そして、言語以外の何かで繋がった経験はあるか?
もちろん、体を壊して、勉強もろくにせずに、挨拶もまともにできないような勝利至上主義には僕は真っ向から反対だ。
しかし、スポーツをする上での最も重要な"教育的意義"はここにあるんじゃないかと思う。
少なからず僕はそう思う。
今こうして考える"スポーツの価値"
またそんな日常が戻ることを願って。
菅野雅之