22歳の若人です。 大学3年まで野球を続け春から高校の教員。 若人の意見をシェアできればと。

若人の考えていること。

スポーツや教育のことについておしゃべりしたい。高校教員になりたてホヤホヤです。

大学とは一体誰のためのものなのか。

 

 

3月某日、私は大学の卒業式を迎えた。4年間という時間を過ごした学び舎を巣立ち、社会へ旅立つ晴れやかな日を迎えた。

 

しかし、私の心はどうも快晴とは言い難い状況にあった。

 

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私は、昨年の教員採用試験に現役合格を果たした。合格した自治体には大学からはじめての合格者ということもあり、多くの人達が喜んでくれた。

 

しかし、私はそこで強い違和感を感じた。周囲の人たちは、私が合格したことで、今回合格できなかった多くの人が見えなくなってしまっているからである。

 

毎年、合格者は出しているとはいえ、その影には多くの悔しい思いをした者がいる。

 

誤解を招くかもしれないが、あえてこのような表現をさせてもらう。

 

「私には教員採用試験に合格する才能があったのだ。」教員としての才能があるかは別として。

 

もちろん、周りの人に支えられ、様々な人に協力してもらい、仲間にも恵まれた。自分一人では到底成し得なかったものである。周囲の人々には心から感謝している。

 

 

ここで私が何を言いたいか理解していただけるだろうか。決して天狗になり、浮かれているわけではない。

 

例えば、今までプロ野球選手が出たことのない学校から、初めてプロ野球選手が誕生したとする。確かに、そこには指導者の指導力や、仲間との出会い、環境、本人の努力など様々な要因があるだろう。

ただ、一番の要因は紛れもなく本人の才能である。つまり、その人に関わった全てが完璧で素晴らしく、改善する部分は一つも無い。というわけでは無いのだ。

 

スポーツや受験など、どうしても勝負に勝った者や、成功した人にばかり光が当たってしまう。だからこそ、こうした問題提起をしっかりとしていくことが重要なのではないだろうか。

 

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私が抱いた疑問

 

それでは、本題に入る。私が教員採用試験の対策を行って来た中で一番疑問に感じたのが、「学内施設を一般学生が使用できない」と言う事である。(そもそも一般学生とい表現にも違和感を感じるが、ここで言う一般学生とは、部活動をしていない学生を指す。)

 

 

現に私は、採用試験の実技試験の1週間前が大学の定期試験と重なった。大学の規則上、テスト期間中は学内にあるバスケットボールコートの利用は禁止される。そこで体育館の使用許可を求めたが、それも部活動は認められるが、一般学生の利用は断られた。

 

テスト期間中は部活動も原則、活動を休止する事が義務づけられているが、施設の利用は認められている。むしろ、強制自主練という名目で練習をしている。(私は大学3年の夏まで、体育会の強化指定部に属していた。)

 

終いには、地元の中学や母校にお願いしてくれと。

 

どこか違和感を感じないだろうか。

 

さらに、教員採用試験は夏に行われるがそこの一番重要な時期が学校の1週間のお盆休みと重なり、学内施設の利用どころが学内への立ち入りまで禁止された。

 

 

現在も、今年の夏の教員採用試験を受験する学生がその対策のために学内施設の利用の許可をもらいに行くが、たらい回しにされ、最終的には使用の許可はもらえなかった。

 

 

一体、大学とは誰のためにあり、大学職員は何のために働いているのだろうか。


確かに、一般学生が部活動の施設を使用しようとすればそれは、部活動の施設ではあるから部活が優先なのは分かる。

 

一般の学生が使用するから部活動の練習が出来なくなってしまうのは部活動を行なっている学生からしたら、たまったものではない。

 

私も3年の夏まで強化指定部に所属し、体育会で競技を行ってきた人間であるからその気持ちはよく分かる。

 

ただ、大人達の話聞いてるとすごく違和感を感じる。「教員採用試験を受験する学生は部活動の生徒ではないけど一般の生徒でもないからある程度融通は利くんだけどねぇ。」と。

 

根本的にこの考え方に強い違和感を感じる。

部活動の施設であるから部活動の生徒が優先されるのは分かる。ただ、その他の生徒に関しては、本学の学生である事には変わりはないのだ。ましてや、他大学の学生が施設の利用許可を願い出ているわけではない。

 

高い授業料を払い、施設維持費も払っている。

 

誰のためのルールで、誰のための施設で、彼らは誰のために仕事をしているのだろうか。

 

 

ある人は卒業式にこんな祝辞を述べた。「意思のあるところに道は開ける。」と。

しかし、このままでは意思のある人間にこそ、壁が立ちはだかる状況である。

 

 

学生一人が声をあげたところで、何も変わらないかもしれないが、学生が声をあげなければならないのだ。実際に現場で被害を受けているのは学生なのだから。

 

私が今回のブログを通して伝えたいことは、「私の出身大学は底辺であり、4年間は無駄だった。4年間を返せ。」ということではない。

 

矛盾しているかもしれないが、私はこの4年間を後悔はしていない。むしろ、この4年間での生活を誇らしく思っている。(そこには声をあげた事で変化したものもあれば、どうにもならなければ自分なりに方法を変えてアクションを起こしたからである。)

 

 

大学という、閉鎖的な環境に身を置く学生にとって、自分の通う大学こそが世間一般的な大学である。

 

誰も、他大学の学生がどんな環境で、どんな事を学び、どのように生活しているかなど、自分の大学以上に知っている者などいない。

 

だからこそ、現在、大学に通っている学生は与えられた環境の中で、それに不満があっても、お利口さんに過ごすのではなく、自ら学ぶ環境を整え、声をあげなければならないのではないだろうか。

 

そして大学生のみならず、多くの人にこういった現実を知ってもらいたい。

 

これから大学に入る人もいれば、親になる人もいるのだから。

 

 

「うちの大学ではこんな資格が取れますよ!」

でも、資格が取れるだけで、出口がなかったり。

 

「うちの大学では留学ができますよ!」

でも、休学するのに何十万もかかったり。

 

こういった件に関して一番悪いのは大学ではなく、親と学生である。声をあげないどころが、それにすら気づかぬまま、学歴だけを求めて大学4年間を終える学生がほとんどではないだろうか。(気づかぬ方が幸せなのか。)

もちろん、私も私の通った大学の事しか詳しくは分からないが。

 

 

まとめ

 

私が伝えたかった事は「村の常識が、世界の常識とは限らない。」という事である。

 

もう一度言うが、私はこの大学に入ってよかったと考えている。今回、母校はダメだと訴えかけたのではなく、今後より良くなるために声をあげたのだ。

 

そしてこれを読んだことで、大学というものの見方や、選び方、学び方に少しでも影響を与えられたら幸いである。

 

 

あとがき

先日行われた卒業式では、学業成績の優秀生と結果を残した部活動が表彰された。

 

学業成績の優秀生が表彰されるのは分かるが、なぜ、結果を残した部活動が表彰されるのだろうか。大学における部活動の位置付けはかなり上だという事を感じた。

 

ここでは「勝った」事を讃えられていると私はとらえたが、みなさんはどう考えるだろうか。

 

卒業式で部活動の活躍を表彰するという行為は他大学でもあるのだろうか。

 

違和感を感じるのは私だけだろうか。

 

私も部活動を行なっていた時にはこのような事は普通の出来事であったが、少し離れ、客観視すると疑問に思った。

 

みなさんのご意見をいただければと思う。

 

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