性のタブーとリテラシー
"性"へのイメージ
「性」と聞いてみなさんは何をイメージするだろう。
「大切なこと、神秘的、美しい」
「男女、エロい、生殖」
「下品、、不快、汚い、タブー、恥ずかしい、悪い、卑猥」
それぞれ様々な感じ方があると思う。
これは私の個人的な感覚だが
なんとなく世の中ではマイナスなイメージの方が強いように感じる。
どこか恥ずかしくて、下品で、話してはいけない事のようで、時には不快に感じる人もいる。
でも誰かに聞きたくて、知りたくて、でも聞けなくて、教えてもらえなくて。
とても大切なことなのに。生きていく上で必ず関わることなのに。
少なからずわたし達は母親の体から産まれてきたのに。
私は保健体育という教科の教員として、
「性の話を聞くことに対して"不快"に感じる人がいる。」ということは理解しておかなければならない。
だからこそ
①性へのタブーの誤解を解く
②性に関するリテラシー(活用能力)を高める
ということを性教育を行う前に実践しなくてはならないし、性教育を通して伝えなくてはならないと思っている。
前置きが長くなった。
今回は「性」の何がタブーで、何がタブーじゃないのか。何が不快な性なのか?について書いていく。
性のタブー
性に対してのマイナスイメージが強くなってしまうのも、鼻の下が伸びてしまうのも少し偏った見方をしているからかもしれない。
例えば、性交(SEX)ひとつをとっても目的は様々。
以前、AV男優の森林原人さんと、はあちゅうさんが動画配信していたものを参考に、私なりに解釈し4つに分類した。
1.心の交流
パートナーとのより良い関係を築く手段としての性交。性交自体は目的になり得ないが、手段としては必要であり、それにより心が満たされる。コミュニケーションの延長。
それが故に寂しさを埋める、愛情を求め行われることもあるのが事実。
関連ワード(愛、コミュニケーション、寂しさ、デートDVなど)
2.生殖
子孫を残すための生殖のための性交。学校の性教育で扱うのは主にここである。
関連ワード(子孫繁栄、本能)
3.社会的価値
本来は社会的価値など無いが、イデオロギー的に世の中に伝わるもの。つまり、性交の経験の有無によって名前をつけられる、結婚の有無、年齢、サイズ、交際人数など。それを他人へ問うことによりセクシュアルハラスメントにつながる。
さらに、「〜と性交をした」と自慢する事により、それに価値を感じるコミュニティにおいては、その人の価値が上がるような現象がある。そのような価値を高めるための性交。
関連ワード(評価、性交経験の有無、年齢、セクハラ、コンプレックス)
4.肉体的快感
生理的欲求の性欲を満たすことを目的とした性交。多くの人がイメージするのはここだろう。ここを目的とした場合、ゴールは肉体的快感のピークになる。
関連ワード(性欲、テクニック、肉体的快感のピーク)
このように4つに分類した。
青で示した1、心の交流と2、生殖はおそらくほとんどの人が不快とは感じない部分。
赤で示した3、社会的価値はほとんどの人が不快に感じるタブーの部分。
緑で示した4、肉体的快感は話す人と聞く人の関係性によっては不快に感じるが、関係性によっては重要な部分。
地上波のテレビ放送をイメージすればピンとくるだろう。2の生殖は報道されるし、教育番組でも扱われる。ドラマや映画のラブシーンは、4の肉体的快感を表現したいんじゃなくて、1の心の交流を表現したいのであろう。
偏った見方をしている人はこれらを分けて考えられていない。もしくは1つの目的でしか見れていないのではないだろうか。
※もちろんこれ以外の理由の人もいる。
しかしこれは孤立している訳ではなく、他の目的と関わりあって成立している。
例えば、2の生殖を目的とした性交であっても、1のパートナーとの心の交流は必要不可欠であるし、4の肉体的快感も含まれているだろう。
ひょっとしたら、子供を授かることにより3の社会的価値も変化するかもしれない。これらが複合的に組み合わされている。
しかし、伝える際にはこれらを分類して伝える事が重要であり、それが性へのタブーを解くことへつながると考えた。
多くの場合、3の社会的価値と4の肉体的快感は相手に対して不快感を与えてしまうリスクが高いことは理解しておくべきだろう。
私も仕事の都合上、性教育の相談を異性の方ともするが、その際は絶対にあなたの3については触れない。例え、3を問題視した相談でも。
まとめ
以前、WEEKLY OCHIAIの落合陽一さんと紗倉まなさんとの対談で、紗倉まなさんが「世の中全体が童貞くさい。」とおっしゃっていた。落合陽一さんも性に対して過剰に特別視する様子を「世の中が小学生が大便の方へ入ると上からトイレットペーパーを投げ入れられるような空気感」と例えていた。
大事な事なのにタブー。
誰しもが関わるのにタブー。
タブーを理解し、タブーと向き合う。
性教育に携わる人間として、今後も性に対するタブーと向き合い、リテラシーを高め、良い意味で性に対して寛容な社会になる事を願う。
菅野雅之