若人の考えていること。

思いのままに書いています。

ネガティブと生きる

「感情を感情で終わらせない」これは2019年のテーマであった。

 

"我々は自分が語れること以上にずっと多くのことを知っている。"

 

だからこそ自らの感情と向き合い、言語化することを自らに課した。

 

こうして振り返ると、2019年はネガティブな感情と付き合う時間がなんだか多かった。正直に言うと結構しんどかった。

 

ネガティブとは、「陰と陽」で言えば「陰」の方を指し、「明と暗」で言えば「暗」の方を指す。

 

ネガティブな感情とは、

悲しみ、苦しみ、怒り、悔しさ、恥ずかしさ、困惑、孤独、不甲斐なさ、もどかしさ、歯痒さ、罪悪感、嫌悪、などのこと。

 

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そんな感情と向き合うことで、

少しずつ大人になっている24歳の僕は

「知る事で不幸になる事実」

に気がついた。

 

逆を言えば、知らない方が幸せでいられる事があるということを。

 

 

どういうことかと言うと、

例えば、ニュースを見なければ心を痛める機会は少なくなるかもしれないでしょ。

 

目を背けたくなるような事件や事故。

貧困や差別。社会問題。

 

知らなければ、ネガティブな感情を抱くことも無いのかもしれない。

 

僕の日常であってもそう。

 

うさぎ跳びが身体に良い影響を与えないことに加えて、怪我のリスクが高い事が科学的に分かっている事を知らなければ、うさぎ跳びをさせられている中学生を目にしてむず痒い思いはせずに済む。

 

そして「頑張れ!」と純な気持ちで言えると思う。

 

 

大好きなあの子にフラれた理由を自分へは向けずに、いつまでも相手や環境のせいにしていれば被害者意識だけを持っていれば自尊心は傷つけられずに済むだろう。

 

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多くを知れば、もしくは知ろうとすれば、ネガティブな感情との付き合いは避けられない。

 

これが大人になるということであり、

成長するということなのかもしれない。

 

悲しみ、苦しみ、怒り、悔しさ、恥ずかしさ、困惑、孤独、不甲斐なさ、もどかしさ、歯痒さ、罪悪感、嫌悪など。これらは総じて心地よいモノではない。むしろ痛みを伴う。

 

もしネガティブな感情と付き合うことなく、

一生ネバーランドで生きることが

できたとして

 

それでも僕はネガティブな感情と付き合って生きていこうと思う。

 

なぜならそれが生きるということであり、

自分を作るモノであるからだ。

 

何かを知ることで、感情や思考がネガティブ方向へ動く大きさや、頻度が増すかもしれない。それで良い。

 

例え、その分だけポジティブ方向への振り幅が増えることが約束されていなくても。それでも良い。

 

知ることによる痛みは、他者や社会との関わりによって生じるものである。

 

ニュースや教育や恋愛も。

 

しかし、逆に言えば自分自身に関しては豊かにしてくれる。

 

生きるという、自分自身が下す日々の決断に関しては豊かなモノにしてくれるだろう。

 

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できることなら、毎日をポジティブに生きたいと願う。

 

ネガティブな感情など無いモノとしていたい。

 

いつでもネガティブな感情は悪者にされる。

 

しかし、そんな誰からも好かれないネガティブな感情は感情で終わらせてはならないのかもしれない。

 

ネガティブは、

人間にとってネイティブ。

違和感は可能性。

 

2020年。そう生きていきたい。

 

 

 

 

 

菅野雅之

 

 

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