若人の考えていること。

思いのままに書いています。

「道具をキレイに磨いて来い。」は個人的な価値観の強要か。

練習試合前のグラウンドに綺麗に並べられたグローブとスパイク。しかし、昨日の練習でついた砂がそままの道具がちらほら。もし、あなたが指導者ならどうするだろうか?

 

選手を集めて説教をするだろうか。

怒鳴り散らすだろうか。罰を与えるだろうか。

道具を大切に使うのだと言い聞かせるだろうか。

 

逆に、

選手に道具を磨く時間をとってあげられなかったのだなと感じるだろうか。

グローブやスパイクが綺麗かどうかは関係ないと思うだろうか。

 

私は個人的には、道具は綺麗に磨いた方が良いと思っている。

 

 

大学時代も平日も毎日とまでは言わないが、磨いていたし、グローブに砂が付いたままという事はまずなかった。スパイクもどうせノックをうければ一瞬で汚れてしまうが、試合前は必ず磨いていた。

 

ただこれは私が属していたコミュニティでは特別な事ではない。私の同期はキャッチャーミットを毎日寮に持ち帰り綺麗に磨いていた。

 

そこでだ。私は磨いた方が良いとは思うが、中にはどちらでも良いと考える人もいるだろう。

 

他の競技でも同じようにスパイクやシューズを毎日磨けという指導はされているのだろうか。

これは野球特有のものなのだろうか。

 

そんな事を考えていると、これは個人的な価値観に過ぎないのではないかという疑問を抱いたのだ。

 

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私が教員として生徒と接する時に意識している事の一つが、個人的な価値観を強要しない。という事である。

 

私の当たり前は、私の当たり前に過ぎず、色々な考え方や価値観があって良いと思っているからである。

 

 

今から極端なことを言う。

授業中は帽子をとれ。授業中は飲み物は飲むな。机の上は綺麗にしろ。挨拶は全員揃えて大きな声で。バスケットボールやバレーボールを足で扱うな。眉毛は剃るな。など学校では当たり前のように注意されるが、極端な事を言うとこれらは、個人的な価値観でしかない。※これらを否定しているわけではない。

 

 

一方で、ベンチは綺麗にして帰ろう。使った物は元の場所へ戻そう。脱いだ靴は揃えよう。など、これらは「他者への思いやり」的な部類に当たるため、今回の話の内容とは少し違う。

 

もし、磯野波平セサミストリートの世界に飛び込んだら。

磯野波平をバカにするわけではありません。笑

 

アメリカに行った時の事だ。とあるファストフードのチェーン店に入った。すると、アルバイトスタッフがユニフォームのままスマホで電話をしながら店内の客席に座り、まかない食を食べていた。

 

日本では見ない光景だ。

 

私はそんな姿を見ながらこんな事を考えていた。

 

もし、日本の磯野波平的なおじさんが「バーカもーん‼︎‼︎」と怒鳴りつけたらどうなるだろうかと。

磯野波平的とは日本特有の礼儀やマナーを重んじ、個人の揺るぎない価値観を持っている。という私の勝手なイメージです。

※もう一度言います。別に磯野波平をバカにしているわけではありませんよ。笑

 

おそらく、「why?」と言い、言われた本人はキョトンとするだろう。

 

そして周りの人も驚くだろう。

 

つまり、育ってきた環境も違えば、文化も違う。日本ではマナーとして成り立っていても、他国に行けば失礼にあたる事だってある。

 

つまり、当たり前や常識、世の中などと言うのはその人が作り上げたものでしかないのだ。

 

そしてそれは教員であっても同じであり、

教員の当たり前や常識が世の中の当たり前や常識とは限らない。

 

その個人的な価値観を押し付けていいものか。

私は葛藤した。教える立場として伝えるべきか。どのような伝え方をすれば伝わるだろうか。と。

 

「高い道具を買えない人もいるんだから、大事に使わなきゃダメだ。」と言っても伝わらない気がした。

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まとめ

 

道具の話に戻るが、多くの人は道具は大切に扱うべきだというだろう。私もその内の一人だ。

 

自己啓発本などにも、靴を磨け。という文字が並ぶのを目にした事がある。

 

私が考えるに、おそらく、靴を磨く行為自体に大きな意味は無いだろう。

 

重要なのは、その靴を磨こうとする気質なのだ。

 

私も振り返ると道具を磨く理由は、願掛けが一番大きかった。

 

少しでも良いプレーが出来ますように。

これでミスが一つでも減るなら。

と祈るように磨いたものだ。

 

野球に対する熱量や姿勢、気質が道具を磨くという行為に現れるのでは無いだろうか。

 

選手を集め、道具を綺麗に磨け。と言えば選手は磨いてくるだろう。そして磨いて来なければ試合に参加させない。とでも言えば必ず全員磨くだろう。

 

しかし、それでは道具を磨く理由が、「怒られるから。」になってしまう。それは私の哲学に反する。

 

その気質を育てていく事が私達の仕事だと感じた。

 

最終的にこの事は選手へ伝えた。

ただ、これは私の個人的な価値観だ。という事も含めて。

 

色々な大人から教わり、色々な大人の価値観に触れるだろう。その時に自分が納得したものを取り入れていけばいい。

 

結果的に全員が道具を磨いてこなくてもいい。

選手を集め、怒鳴り、罰を与えて全員が道具を磨いてくるよりも、1人でも自分の意思で「道具を磨こう。」とする選手が増えたならそれで良い。もっと極端な事を言うと、「絶対にスパイクなんか磨かない。」という意見が出てもそれで良いのかもしれない。

 

皆さんはどのように考えるだろうか。

意見を交換できれば幸いである。

 

 

菅野雅之